三日坊主とは私のことか?
ダイエットをしようとか、休肝日を増やそうとか、
ちょっと下腹が出てきたからジョギングでもしようとか、
いろいろと思うには思うのだが、なかなか始めない。
アルコールの誘惑にはすぐに乗ってしまうのに、
節制となると丸っきり行動力がない。
たとえ1・2度は出来てもすぐに諦めてしまう。
新聞広告を見て、面白そうな講座だな、今度参加したいなぁ~、
でも結局はそう思っただけで参加することはない。
これらはたいてい三日坊主で終わる。
似たようなことは誰にでもあるだろう。
決心がないから始まらないし始めてもすぐに行き詰まる。
じゃあ、決心できたら三日坊主ではなくなるのだろうか?
私事で言えば、ダイエットだジョギングだ。
休肝日だと宣言するのではなく、今度いつ始めようか
と計画を立てるのでもなく、とっととやればいい!と指摘されそうだ。
弁解させてもらうと、この思ってみただけの曖昧な願いが実現しないのは、障害や誘惑の方が多いせいでもある。
大食いで早食いで晩酌の好きな私が、ダイエットや休肝日を継続するのは至難の技である。つまり、私の食べたいだけ食べるという願いは叶っていて、飲みたい日は飲むという願いも叶っている。まあ、ほぼ毎日なのだが・・・。
そうやって自分の嗜好の赴くままに暮らしながら、下腹部はぜひ20年前のようにスマートなって欲しいという矛盾した欲張りな願いもある。
私の願望群Aは叶っていて、願望群Bは叶っていない。
最近になってようやく私は、
この願望群Aが私の本当の願いで、願望群Bは私のただの夢なのだと気付いた。
ところが矛盾した願いでただの夢なのに、
長い間私はそれを正統で叶うべき願いだと信じていた。
思考回路に夢の部分が多すぎたせいだと思う。
ちゃんと決心したら自分だって贅肉がグッと減って少なくとも10歳は若返ることができる。もう少し週末の時間を効果的に使って英語をリフレッシュしたら、ちゃんとビジネスレベルの英語として通用することができる。
いやはや・・・。
実は逆だ。
逆に捉え直すといい。
人は今の自分の現実からしか出発できない。
当り前だ。
夢を見ることで現状から逃避しているなら、
最初にやることは夢の部分を減らすこと。
今までやってないことは、できないことだ。「これは今の私にはできない!」私はそう自分に宣言した。
そこで初めて現状がスッキリ理解できた。
それでも叶えたい願いがあるならば
「それが出来ない私」から「ただ行動する私」へと新しくなる必要があるだけなのだ。
ところで私は職業柄、よく似たような相談を受ける。
結婚したいんです。
でも・・・、なかなか出会いがないんです。
一応私は、そうなんですかと応えるがホントはそうとは信じていない。
決心が足りないとも思っていない。
この人は一人で居たいという別の願いを叶えていて、結婚したいというのは、実はこの人のホントの願いではないのだ、と理解することにしている。
☆彡ラ(^王^)ノ