正義の在り処

正義の在り処☆彡ラ(^王^)ノ

おはようございます! 羅王です。

タロットの大アルカナ、正義=ジャスティスの話です。
タロット正義
例によって、
右手に剣、左手に天秤を持つ正義の女神です。

天秤は、人の善業と悪業の量を計ります。
そして悪の方に傾くと、右の剣でバッサリ!
という、とても怖~い女神さまです。

あ、Gerechtigkeitとは、
(読み:ゲレヒティヒカイト)正義とか
法的な公正性、正当性を意味するドイツ語です。

この前、南ドイツの都市ミュンヘンを訪れたとき、
ちょっとカッコイイ建物があったので、写真に撮りました。
裁判所
そして、この建物の上の三角形の上に像が立っています!

よ~く見ると、
正義の女神
オッパイがあり、日が当たっている左手に天秤を持ち
右手側は陰になっていますが、剣を下に向けて持っています。
そうです。正義の女神なんです。

ということは、私の経験上、
この建物はミュンヘンの裁判所のはず!

はい、裁判所の南側面でした。

正義の女神のことを
ドイツ語読みでユスティツィアと言いますが、
ドイツでは、というか多分欧州では全体に
裁判所に建っているのが普通です。

まあ、時に町の守護聖人になったりすると
町の広場に立像があったりしますけどね・・・フランクフルトのことです。
Fra正義の女神
元々、この天秤や剣はマルクトに掲げたシンボルでした。
当時、中世は地方ごとに単位が異なっていたので、
マルクト毎に秤や長さの基準が示されていました。

でも、大きな市は、地方や遠方からの隊商たちなので
女神の役割は:
このマルクトでの取引基準を明示しているので、
犯罪行為を許さない治安の良さと共に、
量や長さを誤魔化したり偽物の販売をすることは許さない、
という「市の公正さ」=「市場の正義」のシンボルです。

つまり、天秤は公正な長さや重さの単位を使え!という意味で、
剣は、ズルいことをして誤魔化したら、法に照らして罰を与えるぞ!
とまあ、分かりやすく言えばそういう感じです。

なのでユスティツィアは、商業の要衝として栄えた
このフランクフルトの地にとても相応しい女神だ
と言えますね。

なぜ、正義をこんなにも一生懸命に主張するのかといえば、
私の個人的な見解ですが、実は正義とは
人々のそれぞれの心の中にあるものであって
具体的なモノとしては存在していないからだ、と思っています。

私は日本とかドイツとかスイスとか、
ちゃんとした近代の司法制度が機能している
先進国の社会で生きて来れたことにとても感謝しています。

でも、同時に、現在のイスラム国にしても、これまでの中東の戦乱、
或は中世の十字軍の遠征にしても、神の名の下に聖戦を繰り返し
正義の名の下に数多くの異教の人々を死刑に処してきましたね。

つまり、正義という名の下に!
ということで誰かを罰したりすることは
実はとても怖いことなのだ!と感じています。

また、法治国家の正義の女神は正しくて
聖戦を繰り返す国の正義の女神は間違っている・・・?

いえいえ、
どちらも間違いではなく正義だからこそ問題なのでしょう。

私の意見では、正義はどこにもありません。
人々の心にはあるかもしれませんが・・・。
確たるモノとしての正義は、実はどこにも存在しない。

でも、人は自分の正義を
どこかに存在する女神として求めるものです。
その象徴がこの正義カードだと思っているんです。

いえ、私はこの女神を悪者として扱うつもりはありません!

正しくバランスよく機能してくれたら
人々の暮らしに不安がなくなり、
社会の在り方に信頼できるし
将来の生活に希望が持てます。

ウェイト版の正義では、
天秤のお皿の大きさが異なっています。
それは、計るもの、比べるものが同質ではなく、同量でもない。

外見は異質で本来は比較できないモノ同士を
計りにかけている・・・。

ということかもしれませんね。

う~ん、正義カードは奥が深~い!

ある時代劇の場面を思い出しました。

暗殺者の剣に囲まれて、後じさりながら
貴様ら!
こんな外道なことをして恥ずかしくないのかー!?
と言うと、

何が正義なのかは歴史が決めるさ!
と言い放って切りかかってゆく場面です。

オレたちが人を殺しても
それが良かったのか悪かったのかは
歴史が決めることだから、オレたちは知~らない!
お前を切り殺すだけだ!

というのも、無責任な言いぐさですね・・・(;^。^)

今の日本がそういう時代でなくで良かった♪

ラ☆彡(^王^)ノ