エッセイ「導きのサイン」

導きのサインって? 羅王(^王^)

こんにちは! 羅王です。

さて、今日は「導かれている」とはどういうことか?について書こう!

前回書いたように人は皆導かれている。
その導かれているサインを確認できないから不安になるのだ。

では、何がサインなのか?
結論から言おう。

大きな流れに乗っていると感じるとき、間違いなく自分自身のロイヤルロードを歩いている。

周りの人々があなたを励まし、サポートしてくれて、あなたの真価をみとめようとするときあなたは紛れもなくサポートされた道を歩いている。
それが財政的に不安定に見えても、誰もが納得してくれるわけでなくてもだ。

逆に、状況がいつも進行を阻むように思えるときはサインは赤信号だ。
あなたをよく知る人が
「ん~、それはあなたらしくない」とか
「あなたに向いてない」
「あなたはもっと他のことをするのかと思っていた」と言うとき。

協力者とか励ましてくれる人がが誰もいないとき。
そして、それでもこの道を行くんだ! と信じているとき。
導きのサインは、そっちの方ではない! と告げている。
それは大きな流れに抗って泳いでいるようなものだ。

導きあるいはサポートまたはサインとは、ひとつの大きな流れのようなものだからだ。
あらがうには大変なエネルギーが必要だ。

逆流の中を必死になって、ひと掻きひと掻きと進んでも、全く進まないだろう。
それでも岩にしがみつきながらゼーゼーと荒い息をしているなら、
そろそろ手を離した方がいい。

流れに身を任せるときが来たのだ。

私羅王は勘違い人生をよく送ってきた、という自覚がある。
つまり、だれも私に向いていないと思う道を、勘違いして歩いて来た。

だが、結局、流れに歯向かうことはできず、流されながら次の岩にしがみつきまた次の岩にしがみつきと段階的に流されてきた。

私が目的地だと勘違いしてきたものは、私のエゴであり、思い込みであり
見栄であり、金であり、型にはまった世俗の成功であった。
だから、流される度に自分の人生の目標に対しての挫折だ、と感じてきた。
ところが、全く手を離して流れに身を任せて行くと、なんともスムーズに移行できるではないか!

あっ、なんだ。
これが本来の道だったんだ~♪
と分かった。

そうだ!
あなたの人生はいつも導かれている。
たとえ、あなたが大きな流れに対して真逆に泳いでいても。
たとえ、あなたが自分の人生の目的地がその逆流の果てにあると信じていても。
たとえ、あなたが挫折して、流れついたところが気に入らなかったとしても。

あなたはいつも導かれている。
自分の人生がいつも導かれている。そして
導かれる先は、人生でもっとも素晴らしい場所だと知っているがよい!

ひとつ気を付けよう!
人生の目的地が逆流の果てにあると思い込ませるものはエゴだ。
エゴはイメージでやって来る。

イメージを潜在意識に刷り込むと成功するなどと信じてはいけない。
人生の目的地を外側から刷り込まなければならない人はだれもいない。
みな生まれたときからすでに知っているからだ。

あなたはすでに導かれている。
あなたの行く先はすでに潜在意識にあるし、すでにそこへと導かれている。
それをイメージで操作しようと考えることは、流れにあらがうことであり、
私羅王がよくやったように、エゴの作った目的地を確固たるものにするだけだ。

イメージは導きを妨げる障害物になりやすいことに注意しよう!
もちろん、どんな道も間違いではない。

そして、導かれてゆくとき。
サインを受け取りながら進むとき。
もっともラクラクとスムーズに進んでゆける。

たとえ先が見えなくとも、角を曲がる毎に何らかのサインや矢印が見つかるのだ。
怖れずに進むがいい。
たとえ近道と遠回りと遥かな遠回りがあっても、それがあなたのロイヤルロードだ!

私羅王のロイヤルロードがそうであったように。

羅王 (^王^)♪