エッセイ「遊牧民の家」

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モンゴルの移動住宅:ゲル

遊牧民の家

 

最近、家が欲しくなってきた。

ずっと自由人として他人の家を借りては別の町へ、はたまた別の国へと移り住んで来た私が家を持ってもいいかぁ~と思ったきっかけは、妻がそろそろ家が欲しい!と言ってきたせいだが・・・。

 

私はもともと家を持たない主義だった。

日本のTV番組「海外の車窓から」に似たドイツの番組に「風の遊牧民」(独:Normaden des Windes)というのがある。様々な未開地の遊牧生活を取材した短い映像だが、私も自分のことを遊牧民の一人だと自負していた。

 

そもそも生涯の仕事と呼べるものを探していた青春時代には当然まだ家を持つ気にはなれなかったし、30代や40代になっても私は現地ドイツ語圏での観光ガイドや通訳の仕事が楽しくて楽しくて、自分の「天職」と呼べる本業としての仕事を決めようとはしなかった。

 

そんな私が家を持つことは「天職探し」を諦めて、家という不動産とそのローンとに縛り付けられてしまうことだと思い込んでいた。そうやって拒んできた家を手に入れて定住しようとは、我ながらとても新鮮な感覚である。

 

現在はJR新大阪駅から徒歩7分ほどの賃貸マンション3LDKに住んでいる。だが、大阪市内や関西圏内にマンションを買おうというのではない。

占い出張で年に数回帰省している妻の里、尾道の沖に浮かぶ島に建てようというのだ。

 

なぜ島なのか?

という理由ははっきりしている。

 

柑橘畑の多い島だが、そこにオリーブ農園を作りたいからだ。

農業がしたいわけではない。

 

体格のいい私だが肉体労働は嫌いである。そもそも この人生で肉体労働をしたことはほぼ皆無だ。 だから農業などという明らかに私らしくない肉体労働に従事することは考えていない。

 

妻の好物がオリーブで、農地が安価な島に大きめのオリーブ畑を作ってみたいだけだ。 「大草原の小さな家」みたいな手狭な家ではなく、出来たら数世帯が住むことの出来る大きな家がいい。

 

6世帯とかもいい!

おお~。イメージが膨らんできたぞ。

 

そうだ!

屋上からの眺めも大事だな~♪

 

ということは、羅王は占い師業で儲けた!ということか?

などと誤解してもらっては困る。

 

家を買うために必要な「先立つ金」はない。

自営業でどうにかこうにか生計を立てている程度だから、

どこかの金融機関が家のためのローンを組んでくれるとは期待できない。

 

相続できる不動産とかもない。

貯金はそもそもしない性格だ。

では具体的な資金計画はあるのかと問われると・・・

答えは「全くない」である。

 

私はこれまでの人生で

長期的な人生設計と呼べる計画など立てたことはないのだ。

 

は~、おい羅王!

それの一体どこが自慢なんだい!?

と訊かれそうだ。

 

いや、つまりこれは自慢ではなく・・・。

 

今回の目標も、

これまでと同じで、準備も計画もない。

 

あるのはただ根拠のない自信だけ。

とまあ、そういうことだ・・・(;^王^)

 

とはいえ、私はこれまでの人生で願ったことは短期的には挫折しても、長期的にはちゃんと叶えてきたと思っている。

 

大学に行くと決めていたが、

高卒後は一旦大学進学を諦めて就職した。

そして、 あとで働きながら通信大学を卒業した。

 

ドイツ留学では現地での収入が必要だったが、

お貯金が切れても帰国するつもりはなかった。

 

語学学校に通った1年後からガイドを始めて、

結局20年間ずっと観光ガイドと通訳の収入で生活した。

 

21年間のドイツ滞在を切り上げて

何の準備もなく帰国したときも、

いつか占い業だけで生計を立てることが目標だった。

 

そして、今はそれが叶っている。

 

ここまで書いてきて

「オレは努力して願ったことを叶える男なんだ~~!」

などと言いたいのではない。

 

第一、私は努力が嫌いである。

叶うことになっている願いは叶う。

それだけだ。

 

これまで大した努力というものをしていない、

という自負だってある。 (どんな自負じゃ!?)

 

ただし願いを叶えるより先に、その願いが

本当の自分を表現しているかどうかの方が重要である。

 

平たく言うと、その願いが叶った未来の状態をイメージしたときに自分が心からの幸せを感じるかどうか、そして、願いが実現したことに感謝の念が湧くかどうかである。

 

自分の心の奥底にアクセスして確かめる必要がある。もしも、フツフツと喜びが湧き上がりニヤニヤしてしまい、ああ本当に良かったと感じるならその願いは叶うことになっている願いなのだ。

 

さらにこちらが、どのようにその願いが叶うのかというイメージをすることは実現の可能性制限することになる。嬉しいなら後は任せてしまうことだ。

 

そして私も自問してみた。私は自分の家を持つ・・・。

ん~まあちょっと嬉しい。悪くはない。

 

でも喜びが湧き上がるというほどではない。

どうも別のイメージかもしれない。

 

私は得た家で何をしているのだろう? 

妻がいて娘達がいた。

その孫たちがいた。

 

その大家族がオリーブの木々に囲まれた

海の見える大きな家に住んでいた。

 

そうか!

私はここに私の新しい故郷を作りたいのかもしれない。

 

故郷というキーワードが

どうゆうわけか私の心を動かすようだ。

 

故郷なのか。

 

よし。

それならば分かる。

 

私は

13歳で父を亡くし

22歳で母を亡くた。

24歳で郷里の広島を離れ上京を決めたのは

「ふるさと」をなくした、という思いがあったからだ。

 

郷里とは幼少期を過ごした場所だが、

「ふるさと」とは人のことであり、私の両親のことだと

失くして初めて気付いたものだった。

 

以来50歳直前までずっと外国に住んだ。

 

イプセン著「ペール・ギュント」の主人公のように長い長い放浪の末にたどり着くような第二の故郷を求めているのだろうか。

 

それだとペールは、元々の故郷に戻るのであり、

また彼のように何もかも失って辿り着くという悲惨な結末

などは望んでいない・・・(;^王^)

 

例えるならホメ-ロス著「オデュッセウス」にしたい。

 

それなら話の結末で、

妻の待つ郷里の島に戻るし、

ちゃんと大団円が用意されている。

 

オデュッセウスは小国の王であり、遊牧民ではないのだが・・・。

まあ、細かい違いは気にしないことにしよう。

 

これは羅王にとって楽しい挑戦になりそうだ。

とはいえ、何の努力もせずに待つだけなのだが・・・。

 

☆彡ラ(^王^)ノ