エッセイ「思い切った失敗作を描け!」

  

思い切った失敗作を描け!

 

今から6年前、21年のドイツ語圏滞在を

切り上げて帰国した当時の私は50歳寸前。

 

ハローワークに通い何通もの履歴書を書いたが

面接の機会は一度も訪れなかった。

 

占い館には出演していたがその収入は家賃にも満たなかった。

 

ああ、この先どうやって暮らしてゆこうか?

将来が知りたい。

 

占い師の私が他人に尋ねるわけにはいかない。

そこで夢でメッセージを得るという技を使うことにした。

 

はぁ~なんじゃそりゃ?

と思われるかもしれない。

 

しかし私はそのジョークのような方法を試したのだった。

 

翌朝、目覚め際に長い夢を見たという感覚はあるのだが

内容は全く覚えてなかった。私はそのまま目を開けず態勢も変えず、もう少しウトウトして夢のダイジェスト版を見ることにした。

 

*** 浅い眠りの中で私は絵を描いていた。

森と滝というモチーフだた。

 

そして、描き終えた私の絵を

数人のマスターたちが審査している。

 

マスターたちはみんなチベットの僧侶のような

明るいオレンジの僧服を着ている。

 

結果、一人のマスターが

「これがいい!」

「実に彼らしい」

「この粗削りなタッチの絵がいい」という評価で

私のその絵が合格したのだが、私は不満だった。

 

もっと上手に描けた絵だってあるのに!

というのが私の主張だったがマスターたちには何も言わなかった。

 

*** ここで夢から覚めた。

 

この夢の解釈は、

どうやらこの金欠という苦難は後に報われるらしい・・・

それだけで嬉しいではないか。

そして、今の金欠状態こそ私が私らしい人生を描く時期であるらしい。

 

人と同じ財政的安定ではなく金欠状態を生きるのが

今の私に相応しいのだからそれでいいじゃあないか!

 

生涯ずっと貧乏だというのではない。

 

もしこれを人生の挫折だとか失敗だと定義したいなら、

思い切った失敗作を描くつもりでいろ!と。

 

そんなマスターの意図が今ならよく分かる。

当時はそう簡単には受け入れられなかったのだが・・・(;^王^)

 

 

ところで、占いでは、

どう生きたらいいのか?

一体何をしたらいいの?

自分の生き甲斐は?

などと相談されることがある。

 

心中で、

え~やっぱそれは自分で決めるもんでしょ(;@。@?

と思うが・・・、

 

私は:

何をすればいいかは答えられません。

占いはまずあなたがやりたい事が先であって、

あなたが想像も付かないようなことを

提案することはできないんです!・・・

と説明することにしている。

 

本当はできない訳ではない。

 

だが、それは人生の押し売りであり、

なにより相談者の自由意志を尊重していない。

 

占い師が相談者の生き甲斐を教えてあげるなどは、

数年前に巷を賑わせたインチキ悪徳占い師みたいなものだ。

 

 

結局、運勢は本人の意図がすべてだと思う。

 

どんな生き方が正しいなどという正解はない。

 

今の運勢が自分に相応しいと受け容れて生きるか、

もしそう思えないなら、自分が楽しいと思うやり方に変えるかだ。

 

今が最悪だと感じているなら、

それこそ「思い切った失敗作」を描いてみよう!

 

それは後に、大切な愛すべき作品となるに違いない。

 

 

羅王