羅王も昔は若かった!

羅王も昔は若かった!


先日妻と4泊5日で北海道東部を巡るツアーに参加した。20年以上も海外で暮らした私は仕事でヨーロッパ中をあちこち旅したが日本をほとんど知らない。


22歳まで故郷の広島で過ごし渡独するまでの4年間を東京で暮らしたきりで、まあ、毎年夏には日本アルプスの山歩きをしていたくらいである。もちろん北海道旅行も生まれて初めての経験だったが、正確に言えば津軽海峡を船で通ったことはあるのだ。


1988年9月10日大学院への進学に失敗した私は一大決心をしてその年の2月に結婚した妻を伴いシベリア経由でドイツに向けて横浜港を出発した。


午前中に出港したロシア船コンスタンチンチェルネンコ号は本州沿いに北上し2日目の夜半に津軽海峡を通過した。北海道が見えるというので急いで甲板に出て霧に霞むぼんやりとしたシルエットを確認した記憶がある。

その頃はロシア連邦ではなく「ソビエト社会主義共和国連邦」だった。ナホトカ・ハバロフスク・イルクーツク・モスクワと一週間かけてシベリア鉄道で西へ西へと移動し、ポーランド経由で東ベルリンに9月21日に入った。


そう、東ベルリン。

ドイツはまだ東西に分断されていた。

西ベルリンのツォー駅で友人が待ってくれているはずだったが当時の私は西へ抜ける方法を知らなかった。シベリア鉄道のチケットやバウチャーなどを手配してくれたソ連の旅行会社の人も「バスが出ているでしょう」くらいしか教えてくれなかったのだ。

地下鉄の路線図にも地図にもベルリンの東半分しか掲載されてなかったし、道行く人に「西ベルリンに行きたいのですが」と訪ねても警戒した様子で首を振るばかりだった。どこにも西ベルリンの存在を示すものがないのだ。その異様な雰囲気に妻とふたりでスーツケースを引っ張りながら途方にくれた。


分断された東西ドイツの深刻さに対してあまりに無知であった自分を今思うと赤面するほどであるが・・・。結局私の下手なドイツ語は通じず、妻の片言の英語で何とかチェックポイントを通過しツォー駅で友人と再会できた。

20代半ばだった私は若く何も知らず未熟でしかも傲慢で何でもできると信じていた。何も持たずしかし私の内側は夢と希望と熱い情熱で溢れんばかりであったのだ。


あれからほとんど四半世紀が過ぎた。


若すぎる私がロシア船で通過した津軽海峡を今度は飛行機で軽々と飛び越えて北海道の旅行を楽しんで帰りは札幌から寝台特急トワイライトエキスプレスに乗った。次の日の昼過ぎには大阪に到着の予定だったが大雪で青森駅に25時間足止めされてしまった

これも何時間も遅れるシベリア鉄道で過ごした時間を彷彿とさせてくれた。


無我夢中で生きてきた四半世紀であったが・・・、さて今の私は当時の私と比べてどれだけ変化しただろう。


知識や経験増え外見もかなりオジサン化した

今日もまた仕事を終えて、日本のビールモドキを呑みながら当時の自分の若さゆえの呑気さや無謀さ、未熟さやヒリヒリとした情熱をあの途方に暮れた東ベルリンの景色とともになつかしく思い出している羅王であった。


羅王