エッセイ「旧時代的結婚観」

旧時代的結婚観


ハイデルベルグ大学に通っていた時代から25年近く親交が続いているドイツ人の友人がいる。私より8歳ほど年下なのだが彼は日本語に興味を持っていてふたりでドイツ語と日本語の交換授業を始めたのがきっかけだった。


彼はドイツ人にしては物静かで優しい喋り方をし、またかなりのイケメンなので私が知っている限り当時から女性にはモテモテだった。行き交う女子学生がハート型の眼をして彼に話しかけるので実はちょっと羨ましかったりしたものだ(;^王^)


とはいえ、彼自身は全くチャラチャラした所はなく真面目で勉強家で誠実な人柄だ。ここ数年、毎年仕事がらみで日本に何週間か滞在するのだが40代半ばにして未だに独身である。滞在する際は何故かいつも彼女の家のようだがそれも何故か毎年違う女性のようである・・・。

 

先日会ったときに何気ない感じで聞いてみた。

「結婚する気はないんか?」


すると彼は笑いながらこう言った。

「この間ドイツ人の友人6、7人で飲みにいったんだが結婚してる奴のほうが少ないよ」と。


まあ、50も半ばになった私の周りでさえ、考えてみれば結婚してない友人が何人もいるのだ。

 

ドイツでは数年前から離婚率はすでに50%を超えている。またシングルマザーは国から手厚く保護されるので、結婚・離婚・養育費・訴訟などのリスクを避けて結婚せずに同居、または別居のまま子供を産んで育てるというカップルも多い。


平たく言えば、「結婚することにそれほど旨みがない」ということだろうか。

 

さて、今年は暖冬のようだが師走ももう半ばだ。妻の実家の島でのイベントは正月2日からなので年末は大阪のマンションでゆっくり過ごし元旦のバスで帰省するつもりであったが、義姉が29日か30日に戻ってブリを捌いて欲しいと言って来た。


義兄の取引先から毎年でっかいブリが2匹、その他豪華な魚介類が届く。私は秘かにこのブリを捌く仕事を楽しみにしているのだが、年末年始の妻の仕事はなかなか大変である。


実家では親戚や友人が入れ替わり立ち代り現われるし大人数の食事の支度、甥っ子や姪っ子の子供達へのお年玉も用意しなければならない。そのガチャガチャした日常の中に私も当たり前のように混じっている。


これが「家」というものであり「家族」というものの形なのだろう。それは「婚姻」という法制度とは別で「結婚」しなくても家族という形がないとは言い切れない。


しかし、もし妻と私が結婚していないパートナーのままだとしたら、やはり少し違っていただろうと思う。この安心感や安定感はなかったかもしれない。

 

そういえば占いでも40代50代のシングル女性によく訊かれる。

「私は結婚したくありません。」

「でも、生涯一人で居たくはありません!」

「人生のパートナーが欲しいんです。」

「来年は新しい人生のパートナーに出会えますか?」と。


そういうとき私は、

いや、ちょっと待ってくれ!

日本の婚姻制度には未だパートナー婚はない。


一生の伴侶だと考えて一緒に暮らすだけでは同棲と同じで全く法的に守られてもいない。


ただの恋人同士と同じだ。

それでいいんですかと確認することにしている。


だが、結婚を回避してシングルを通す方々に勇気付ける予言をしよう。


20年後までに日本のシングルは増え続け、たとえ多数派でなくとも決して肩身の狭い思いをすることはないだろうと。

 

では私の娘が

パートナーとの同棲生活を続ける!・・・とか、

ずっとシングルで生きる!・・・などと言い出したら?


もちろん私は

「バカモノ~!ちゃんと結婚しろ!」

「日本は欧米じゃない!」と言うだろう。


私は、婚姻制度の大事さを知る前時代の日本人なのだ♪

 

羅王(^王^)v