コラム「占いは当たるのかぁ~!?」

 ■はじめに

 

「その占いって当たる?」とか
「その占い師って当たる?」と、よく人は訊く。

ん?

それがどうした?
普通の問いじゃあないか!


そうだ。

ここでは、占いが「当たる」とはどういう意味なのかを
まず運命と占術から考察しながら、占いそのものの本質と
その深い意味を探ってみたい。

まずは、
ステップの「運命はあるのか?」で何が当たったことで、何がそうでないことなのか、をはっきりさせた上で、



ステップの「ポジティブな期待」でどういう視点から「当たること」を期待しているのか、を考察し、さらに、


ステップの「開運とは何か」で人が占いに対して求めているものは、本当は何か、を明らかにしたい。


当たり前のようで、占いに対する自分の態度を知ることができる、
という点が面白いと思う。

ぜひ、楽しんでください。

ステップ①に於いて「命術」「相術」「朴術」の分類が出て来ます。
3大占術の紹介は私の別のコラム「占いたくなる質問」を参照してください。


 

ステップ1  「運命はあるのか?」

 

人は占った未来がその通りになったり、現状や過去の事柄がその通りであったりするときに「当たった」と巷ではいう。

だが、占いは当て物ではない!

当たったか外れたかに価値があるではない!
 占いは人生をよりよく生きるためのツールなのだ。

そもそも占いは当たって当り前だ。
ある占い結果が70%~80%当てはまるなら、
許容範囲内で、一般的に当たっていると言える。

さて、では一体何が「当たった」のだろう?
 
過去?未来?現状?
状況?人間関係?
人の気持ち?
出来事?
財運?
健康運?
仕事運?
独立起業運????

どうやら人は、占いの結果が
ある人や状況の運勢あるいは運命を
描写したり示唆したりするとき、当たっている」と評するようだ。

では、運勢、運命とはなにか?  

そして、そもそもそれは存在するのか?

また、それは人の力で変更できるのか?
 

 

実は、その見解は占術ごとに異なる。
運勢を人生のどの視点から見るかに拠って違ってくるからだ。

命術(めいじゅつ)では(誕生日などから人生全体の運勢を鑑る)
生まれた日などによって、大きな意味での人生の運勢または
運命は決まっている、と考える。持って生まれた性格や環境、才能なども決まっていると見る。

つまり、運勢、運命というものはあり、
それはすでに生まれたときから70~80%が決まっていて
あとはその運命に対してどう対応したかによって、その結果が
吉か凶かに分かれる、という考え方だ。

そして、それは基本的に変更できない、と考える。

私はこの「変更できない運命」という
考え方があまり好きではないのだが・・・(^ら^;)。

というのは、やはり100%ではなく、外れている部分があったり
人によっては、全く違っているということもあるからだ。

でも、まあ、たいていの人は、大きな人生の流れや
基本的な性格の70%くらいは当たるものだ。

つぎに、手相や人相、骨相などで鑑る
相術(そうじゅつ)だ。

これは誕生日と違って、生きた人の相として現れるものなので
運命的な出会いにしても、財運にしても、人気運にしても
基本的に「変化するもの」として理解されている。

たとえば、
その人の性格が変わると手相も変わる。
離婚する運勢を示していても、新たな決心があるとき
現実的に結婚を保つことも可能だし、そうすると
それに呼応して手相も決心したように変化するものだ。

つまり、手相は所期の計画として刻まれている相もあるが
運命または運勢は後天的にも変更可能だという立場にある。

まあ、だからといって手にマジックで線を書き入れても意味はない。

運勢を変えるのは「決心と行動」である。
その結果として、新しい手相の線が出てくる。

決心と行動が先なのであって、その逆ではないからだ!


そして、次にタロットや筮竹(ぜいちく)、サイコロなどで占う
朴術(ぼくじゅつ)は、
大きな意味で「定められた運命」を認めていない。
それは人生の運命というよりも、その人が生まれてきた意味のひとつであり、取り組むべきテーマとして捉える。

朴術において、運勢はむしろ変えるため、開運してゆくためのものだ。
もちろん、いい運勢を変える必要はない。人生の迷路に迷い込んだり、
困っていたり、先が見えないときに変更すればよい。

朴術は普通、人生全体を論じない。
個別な問題の解決策や出来事の進め方にアドバイスしたり
人生の転換期のテーマに、新しい出口を示すのが仕事だ。

だから、運命を変更することはできるのか?という問いに対しては
「そのために朴術があるではなか!」というくらいだ。

ご覧のように、
占術ごとに運命・運勢に対するスタンスが異なり、
占術ごとに運命・運勢に対する取扱も異なる。 


私の提案はこうだ。

まあ、固く考えるのはよそう。
運命はあるかもしれないし、実はないのかもしれない。
くらいのスタンスでいいではないか。

ただし、運命なり人生のテーマなりは、自分の「決心と行動で選び取る」ものであることは確かなようだ。

だから、当たったか、当たらなかったか、というのは占いを評価する秤にはならない。あなたの人生テーマなり、課題なり、あなたの才能なり、占いがその本質に触れているかどうかが重要なのだ!

じゃあ、人は占いに何を求めているのだろう?
 

ステップ2  「ポジティブな期待」

人は常に自分の中の一番得意で、才能が溢れていると自覚していて、それに取り組むと自分が光るようなものに向かって進みたがっている。

たとえ、その展望に夢の部分が多くても、である。

占いで近未来の結果で、いいことと嫌なことがあったなら、
大抵の人が「いい結果」だけはしっかりと受け取るものだ。

それでいい♪

何か困難やちょっとした出来事で動揺したときも
人は自分の人生がこの後もうまくやって行けるという
「ポジティブな期待」を持っている。

そして、不安の方が膨らんでそのポジティブな期待を信じることが出来なくなったときに、占い師を訪れることが多いようだ。

言い換えると、占いが
自分のポジティブな期待と同じ結果を示すことで、
安心しようとしているのだ。
占いはポジティブな心の支えと言える。

占いの役割は、
「そうだ」
「それでいいのだ」と
その人の人生を肯定的に承認してあげることだけ・・・なのか?。

では、鑑定結果はポジティブなことだけを言えばいいことになる。

そんな占いに誰が来るだろう。

じゃあ、占いは
その肯定的に捉えようとする人を
どのようにサポートすればいいのだろう。

ポジティブな結果ばかりを伝える占いに意味はない。

ネガティブな結果を伝えるだけなら闇の表現となる。
世界のダークサイドを拡張して見せることで、
人を闇に引き込んでしまうだろう。

ん?
これは問い掛けがマズイな。
では、もっと、深く問いかけよう!

なぜ、人はポジティブを求めるのか、と。

動物の行動様式は本能に従っていると説明する人がいる。
他方、人の行動様式は、実はそれぞれの成長段階においての
「欲求」があって、それを満たそうとして行動する、と説明する
学者がいる。

または、要するに気持ちいいこと、気分がスッとすること
自分にとって居心地のいい状態、そういうものを求めて行動する。
快楽がその行動原理のすべてだ、と主張する方もいる。

確かに
人は普通、不快な状態に長くとどまることはできないように出来ている。
なぜなら、それは不安定で不愉快な状態に思えるからだ。

逆に、自然で安定している状態とは、
欲求が満たされて居心地のいいときだ。

分かりやすく子供に例をとろう。
数日後の遠足を心待ちにしている状態。
この「変化しているが、うれしいことを待ちわびているとき」は
居心地がよい状態といえるだろう。

逆に、雨が降ったりやんだりととても不安定な天気だと、遠足が延期になったり、中止になったりしはしないかと気を揉むであろう。そして、
ぜひ、晴れて欲しいと願ってテルテル坊主を作ったりするのだ。

ポジティブを求めることは、
言い換えると、
人が人生の出来事を肯定的に捉えようとする姿勢であり、
それは、人が生きようとすることと同じくらい自然なことだ。

確かに、そうだ。
でも、それで全部なのかなぁ~。
じゃあ、さらに問いかけよう。

占いは、
人の本質的な欲求や願いのうちの何を満たすものなのだろう?

ステップ3  「開運とは何か」


幸せで仕方なく、満足の極みにいる人が占い師を訪れるケースはあまり多くない。
これは当たり前なので脇に置いて、ここでは扱わないことにする。

人はいつもいつもポジティブでいることは難しい。
どこかに不安を抱えていることの方が普通だ。

ときには挫折感を味わったり、無力感に襲われたり、
あるいは、現在の逆境と思える関係が永遠に続くように
思えたりするときもあるだろう。

そんなとき、人は自問する。
なぜ、自分にこんな災難が訪れたのか?
なぜ、自分が悲しんだり悔しがったりする必要があるのか?

自分というものは、もっともっと幸運がたくさんやってきて、
ニコニコ幸せでいることが好きだし、それが私なのに!?

これは、自分のポジティブな運勢とネガティブ運勢がぶつかり合っているというのではない。

自分と自分の人生を肯定的に捕らえていたのに、今はそんな自分に対して自信が持てなくなったのだ。
人生の否定的な方を信じかけているのだ。

簡単に言うと、
自分に対する信頼が揺らいだ、ということだ。

だから私は結論する。
人はこの自分への信頼回復を求めて占い師を訪れるのだ、と。

ところが、
占い師にそう問いかける人は少ない。
「自分に対する自信を回復するにはどうしたらいいですか?」とか
「長い目で見て、今回のこの出来事の意味はなんですか?」とか

そうではなく、
今をよりよく生きるために、
この問題はどうしたら解決できるのか?
いつ、解決できるのか?
相手や状況をどう捉えたらいいのか?
自分は何をすればいいのか?
と、とても具体的だ。

ここで占い師は、勘違いしてはいけない。
そうか、解決策を求めているから、ただ、求めている
実現可能な解決策を出してあげればいいのだ、などと!

なぜなら、これは大きなチャンスなのだ。

自分を深く知り、
自分が選んでいる人生を知り、
そして、
自分の人生を意識的に選び換えることのできる
大きなチャンスなのだ!

グルグルと論を展開してきたが、
要するに 
あなたが占い師を訪れるとき、大きな開運のチャンスが来ている、
と言い換えてもいい! 

そうだ。
人は開運を求めて占い師を訪れる。
困難だと思えるときが、意識的に自分を選ぶチャンスだからだ。
そう考えると、分かるだろう。

そうだ。

出来事は自分を新しくしてくれるサインだ!

問い掛ける者は、
この点をクリアに意識していないのが普通なので、
占い師がその視点を見せてあげなければならない。

すると
どうやってバランスするのか?
どうやって統合してゆくのか?
が見えてくるものだ。

開運をテーマにすると、
あなたが占い師を訪れるときの「問い」も違ってくる。
「どうしたらこの問題を解決できますか?」

だけではなくて、
「この問題は、私の人生のどんなテーマの現われなのか?」
「この問題を、どう受容すればいいのか?」

問題を解決してゆく方向は、問題を統合することと同じはずだ。

あなたが問い掛ける者であれ、問われる者の側であれ、
高い視点から
出来事と自分とを統合するとき、一種のヒーリングが起こり、
心理ブロックは溶かされ、視界がみるみる晴れてくるだろう。

困難に思える出来事や否定的に見える問題を怖れる必要はない。

むしろ、開運のチャンスが来たのだ!

人生を肯定的に選び直すときがきたのだ。

形あるモノばかりにフォーカスして、
それを守るためだけに策略を練り
争いに勝ち残る方法を示唆するのが占いなのではない。

統合した視点では、
誰に対しても愛情があふれている。
自分に対してゆるぎない信頼がある。
具体的な保障がなくても、理由なく平和な気持ちでいることができる。

もしそうでないなら、占いではない。

開運とは、

自分が持っている肯定的な運勢に対して自分を開いてゆくことだ。
 
占いはそのサポートなのだ。

さあ、あなたは自分を開く準備が出来ただろうか?

羅王☆(^王^)♪