エッセイ:青い鳥はブータンに居る?

青い鳥の画像
青い鳥の画像:

青い鳥はブータンに居る?

 

数年前、ブータンという

あまり馴染のないヒマラヤにある小国の国王夫妻が来日した。

 

私はニュースで見かけた程度で気にも留めてなかったのだが

画面の向こうの若き国王夫妻の美しく気品のある姿が印象的だったことを覚えている。

 

この来日以来ブータンという国は日本でも注目されるようになった。

 

そして、経済的にも決して豊かとはいえず

昔ながらの質素な自給自足の生活を営んでいるこの国が

提唱したのがGNH=「国民総幸福量」という概念だ。

 

それによると明らかに開発途上国のブータンは

ナント世界一幸福な王国と呼ばれているらしい。

 

一言で言えば

お金では計ることのできない幸福度を追求しているのだろう。

 

世界で一番幸福な王国の人々はどんな生活をしているんだろうか。この話を聞いていつかブータンという国を訪れてみたいものだと思った。

 

ところで私は全く覚えていないのだが妻が時々私を睨みながら言うことがある。結婚するとき「俺は金に縁がないので覚悟しておけよ」と妻に言ったそうだ。

 

まあ、実際経済的には妻にかなりの苦労をかけてしまった。

 

とはいえ、不思議なことに30年近い結婚生活を振り返ったときその笑えるほど困窮していた「一文無し時代」をとても愛しく感じるのだと言う。

 

私自身の幼少時代も経済的には恵まれず父も母も早くに病気で亡くしている。誰に聞いても幸福とは程遠い環境であっただろう。

 

それなのに記憶のなかの少年時代の私は生き生きと腕白で自己主張が強く好奇心旺盛で希望に胸を膨らませた幸福な少年の姿なのである。

 

そう言えば、アンネの日記の中に

正確ではないが次のような一節がある。

 

「この青い空、この空と木々と太陽の光を見ることができる限り、私は決して不幸ではない」。

 

ナチスの迫害を逃れアムステルダムの屋根裏に潜んでいた時のことである。

 

私の幼少期とナチス・ドイツ占領下での

ユダヤ人迫害を同様に扱えないことは自明だが、

 

アンネのように、いつ訪れるかもしれない死神の足音を聞きながら、それでも狭い青空と陽の光を幸せと受け取る生命力に感動を覚える。

 

窪地に咲く小さな花が、

僅かな陽光の中で輝いているように見えるからだ。

 

どんな環境下に置かれていたとしても「恵み」や「喜び」は必ず存在する。

 

客観的には不遇であった少年時代には当然悔しいことや悲しいことも多くあったが同時に数え切れないほどの楽しいワクワクすることがあったし何よりも私自身の未来に関して確信と夢と希望があった。

 

では、ここでもう一度「幸福」とは何かを問われたら、

私の答えは:どの瞬間も、その瞬間瞬間に存在する「恵み」や「喜び」を受け取ることに尽きる。

 

チルチルとミチルのようにどこか遠くに青い鳥を探しても見つからないし、ブータンを訪れても見つからないだろう。

 

今この瞬間、

自分の足元に咲く小さな花の美しさに気付くということだろう。

 

アンネが見つけたように。

 

 

羅王