シナリオを生きる
人は自分で書いたドラマの主役を演じている。
人生の舞台設定、その主人公としての自分の個性、
自分を取り巻く周囲の人間関係など。
そういう自作のシナリオを生きている。
意識的に知っている人もいれば、無意識であったり、
選んだ覚えなどない、と目を閉じて状況に翻弄される人もいる。
それでも、今現在のあなたとあなたを取り囲む状況(私はこれを世界と呼ぶ)は自分で選んだものだ!と私は断言する。
占い師としての私の見解では、
人生とは図書館で気に入った本を見つけて、
物語の主人公とその世界に惹かれ、生き方がとても魅力的に見えたので、それを自分ヴァージョンに書き換えて「貸出窓口」に並び、わざわざこの地上へと持ち込んだものだ。
自分の興味や性格。生活環境の設定。また時代や国、地方、性別、家族構成、友人、先生、出会うべき人、愛する人たち、また上司や脇役やライバルなども含まれている。
そういった出会いや人との縁(えにし)もその都度自由に選べるようゆるやかに設定されている。この話を信じる必要は基本的にはない。
しかし、もしも世界がホントに自分の選択の結果だと思えるなら、
やるべきことはひとつある。
それを「認知すること」だ。
この世界で起こっていることは全部自分が選んだものだと「理解すること」だ。それは他国の紛争やメディアで聞き知る情報すべてまでも自分の選択だと思えというのではない。それらはあくまで舞台設定であり大道具屋さんが壁に映した映像に過ぎない。
あなたが直接体験していることや感情的にかかわっていることが狭義に捉えたあなたの世界だ。もちろん、壁の映像になんの意味もないというのでもない。その情報のどこかに興味を覚えたり魅力を感じることで時代の流れを理解したり、進学や就職のきっかけになることもあるだろう。どちらにしても、壁の映像はあなたが世界をどう捉えるかによって劇的に変わるようにできている。
ここで大事なことは、
起こっている出来事の責任をポジティブに捉えることだ。
「ああ~全部私が悪いんだ!」などと罪悪感を感じないことだ。
それではどこにも進めなくなる。
もちろん選んだのがあなたなのだから責任はあなたにある。
しかし、その責任とは政治家のように「責任を取って職を辞する」類のものではない。船長のように「舵を取り続ける責任」なのだ。
今現在の自分やそれを取り囲む環境を
「はい。そうです。」
「私の体験する世界は確かに私がシナリオを書きました。」
と言ってしまおう!
そう言えるならあなたはこの人生で自己実現を果たしている。
もしできないなら、こう自問しよう。
「このような現実を選んだのが私なら、一体私はどんな目的を持っているのか?この一連の出来事は私の中に潜むどんなテーマに関して逃げずに取り組めと言っているのだろう?」と。
言い換えると、これはかつて図書館で自分が選んだ人生の約束を今果たそうとしているのだ。自分の現実から一歩離れて眺めながら自分に問いかけよう。
経営が傾いているなら、どうしたら経営を立ち直せるのか?ではなく、私の人生で事業を経営する意味はなにか?だ。
誰かと反りが合わず悩んでいるなら、どうしたらあの人と仲よくできるかとか顔を合わせずにすむ方法はとかではなく、相性の良くない人に出会う理由は何か?だ。
お金の問題で苦しんでいるなら、どうしたら財運をアップできるのか?ではない。この人生でお金の問題に取り組む根本的なテーマは何か?だ。
愛する人との別れがあったなら、悲しんで、受容れて、やがて顔を上げて前を見ることができたとき、かつてその愛する人と出会う約束した私はこの人生でちゃんと自分にできる最高の選択をしただろうか?と問おう。
自分を責めるのではなく、前に進むために!
羅王