コラム「スピリチュアルとは」

こんにちは! 羅王です。

さて、今日はスピリチュアルについてひとこと。

スピリチュアルとは、墓参りのことではない。
スピリチュアルとは、神社巡りではない。

いや、先祖を敬う必要がないとは言っていない。
いや、墓参りなど必要ないとも言ってはいない。
いや、神社仏閣を観光してはならんというのではない。

ただ、スピリチュアルとは、旅なのだ。

自分の中に深く入って行き、
自分と自分を取り巻く人々とその環境とが
実はひとつのもので、その中心に自分が居ることを知ること。

そういう内側への旅なのだ。

有名な誰かの本に書いてあることに納得することではない。
なにか、開運グッズを身に付けることではない。
占い師をハシゴすることでもない。

瞑想なり、ヨガなり、呼吸法なり、座禅なり、
静かになって、自分の中を見つめると、
あらゆる想念を抜けて、透明な自分を知り、同時に
世界と結びついた大きな自分を発見することだろう。

そうやって、

これまで内側に溜め込んで信じ込んできた社会的制約を
もっと上の視点からみることが、スピリチュアルな在り方だ。


あなたの想念に戦いがあるなら、
あなたはまだ、この社会の制約に抵抗している。
自分を守るために闘っているのだ。

たとえ、その戦いが現実化していないとしても。

あなたの想念に宝くじで億万長者になる夢があるなら
あなたはまだ、この社会の「欠乏を信じるゲーム」に参加している。
つまり、無条件の豊かさを自分に許していない。

あなたの中に迷いや怖れがあるなら
望んでいる出来事はなかなか訪れないだろう。
迷いや不安・怖れは自分の中の障害物たちだ。

人は自分の願いを叶えるために努力しなければならない
と、そう信じているなら、あなたはまだ、
自分が世界の中心にいること、
そして、
自分こそがこの人生の主人公であることを自分に許していない。


スピリチュアルとは、
前世や過去世、未来世を知ることではない。

過去世を知らなければ、今の自分が誰なのか分からない
と思っているなら、やってみるがよい。
ただ、結局は
「今、ここ、私」において、すべてがあると知るだろう。

スピリチュアルとは
霊視ではない。
オーラを見ることではない。
霊を見ることでもない。
テレパシーでも千里眼でもない。
超能力者になろうと頑張ることではない!

今この現実の人生に、しっかりと地に足をつけると、
同時に
自分の奥深くとの結びつきを持つことだ。

スピリチュアルとは
天使や守護霊や背後霊を知ることではない。
目に見えないあらゆる存在が、無条件に自分の人生と
自分という存在を祝福してくれていると信頼することだ。

何か特別なモノや出来事が必要なのではない。
もし、自分以外に何かが必要なら、欠乏がある。
それなら
あなたの立ち位置はニュートラルではなく傾いている。

いや、何かしてはいけないことがあるのではない。
なにをしていても、それはスピリチュアルな旅の途上なのだ。

精神的な次元も、
感情的な次元も、
物理的な次元も
すべてがスピリチュアルな次元の表現だ。

そうだ。

いま、ここにすべてがある。

なにをしていても、
何もしていなくても
あなたが今ここに存在するなら、すでにスピリチュアルな存在なのだ。

そう、あなたはもうすでに
内なる旅の途上にいるのだ
羅王☆ (^王^)/