らくらくテクテク地球を歩く
ある日夢を見た。
***
船着場から船が出港しようとしていた。
待ってくれぇ~!と私は走ったが、
船は待たず直前で桟橋を離れてしまった。
そこで私は、追い着いてやると!と海に飛び込んだ。
それでも遠ざかる船に対して、今度は筏を組んで追いかけていた。
船はドンドン沖に遠ざかり距離は開くばかりである。
視点を転ずると、その桟橋の岸には
寂れた港に不似合いなお洒落なターミナルビルがあった。
その2階のカフェにはもう一人の大人の私がいて、
冷たい飲み物を飲みながら遠ざかる筏をサングラス越しに眺めて
「ヤツは元気で懲りないな」と、感想をもらすのである。
***
若い頃の私は、物事は無理しても頑張ればできる!
頑張って出来るなら、それは出来る事なんだ、と信じていた。
いやはや、なんとも無理をしていたものである。
ところが、2004年の12月妻と二人で北スペインの「カミーノ」と呼ばれる巡礼路800kmを歩いたときは、全く正反対のポリシーを持って臨んだ。
それはクリスマスも過ぎて年の瀬も押し迫ったある日、
当時住んでいたフランクフルト近郊からの出発だった。
カミーノ:
El Caminoはスペイン語で「道」という意味。
なんでも2千年以上昔から「星の道」と呼ばれ、カトリックの信者だけでなくプロテスタントも王侯貴族も果ては観光客もと
古代から中世を通して多くの人々が歩いた有名な巡礼路だ。
前半は標高1000mから1500mの山道ばかりである。
それもそのはず。
カミーノはフランスとスペインの国境に当たる
ピレネー山脈から始まっている。
モノの本では巡礼日程は40日間がよいと決まっているらしく、
単純計算で一日平均20kmを歩くことになる。
当時の我々は40歳半ばにさしかかった中年夫婦で、二十歳代に日本アルプスの山を登ったという僅かな経験があるに過ぎなかった。
カミーノのために買った二足の登山靴がピカピカ光っていた。
それでも我々のポリシーは訓練や準備など面倒なことは一切せず、ただ日常生活でいつものスーパーに買い物に行くようにテクテク歩き出そう!というものだった。
それで、実際はどうだったかというと・・・、
最初のピレネーはストレッチを繰り返したお陰で無事に越えたが、
一週間目には食べることも歩くこともできず、
ホテルで二日寝続けることになった。
次の日もたったの5kmしか歩けず、
これは途中でリタイアなのか?と不安がよぎった。
しかし、その出来事は一日30kmでも40kmでも歩き続けることのできる身体へと変化するために起ったことなのだと、後になって分かった。
逆にそこで寝込まずに頑張り続けるたなら、本当に一歩も歩けない状況となり、リタイアしてしまっていたかもしれなかった。
しっかりと休んで身体を入れ替えたせいで、それ以後はずっと氷点下の風の吹く中でも、標高1500mの凍った道の上であろうと、疲れずに一日30km以上歩き続けることが出来た。
結局、多くのことが幸いして800kmをらくらくテクテクと踏破し、ゴールである「サンチャゴ・デ・コンポステラ」に二人して37日目に到着したのだった。
特に最終部分のカミーノではゴールが近いせいか、
夕刻にようやく辿り着いた宿泊所が閉まっていた。
ここで我々はもう宿泊所に泊まることは諦めて
残りの70kmほどを夜通し歩くことに決めた。
夜のユーカリの森は、風に揺れて擦れ合いギ~ギ~と妙な音を出しておどろおどろしい森の道を演出してくれたのだが、天気は良く星空がキレイだったので、なんとか朝まで歩き通せたのだった。
ゴールした後そのことを、
途中で抜いたり抜かれたりした巡礼の仲間たちに話すと、
みんなから「クレイジーな日本人!」という評価をもらった。
そのクレイジーな自分を
ちょっとだけ誇りに感じる部分もあった。
だが最近の私は、
無理して何かを成そうなどとは思わない。
そもそも無理を押してしか可能でないコトなら、
それは不可能なコトなのだ!と最近は思うようになった。
無理をせず、流れに任せることが大事なのだと思う。
そこを「頑張れば出来るハズなのに!」と思うから
出来ない人にイライラするのだ。
「頑張ればなんとかなったハズなのに」と自分を責めるから
ストレスが生まれるのだ。
カミーノ800kmを踏破して以来ずっと
私のポリシーは「らくらくテクテク地球を歩く」である。
それで到着できない目的地など存在しない。
もし到達できないなら・・・、
そもそもそこは、私のゴールではないのだ!
羅王