エッセイ「納豆記念日」

納豆記念日

 

「お前、納豆は好きなんか?」と母が訊いた。

「何それ?ワシあの甘い豆なら好きじゃけど♪」と答えた。

 

「そりゃ甘納豆よ。納豆じゃないわ。お前は納豆も知らんのか!あの気持ち悪いヤツよ。あたしゃ、あのネバネバしたんが嫌いなんよぉ。ありゃ食べモンじゃあない」と納豆の悪口を続けた。

 

母親が納豆嫌いで子供に納豆を食べさせていないのに

小学生だった私が知るハズもない。

 

だが、母の発言からして見たこともない納豆という食物は

どうやら「本当は食べる物ではないらしいこと」だけは理解した。

私は物覚えのいい子だったのだ。

 

かくして私が受け継いだ「納豆食べず嫌い遺伝子」は見事に成人後も続いた。納豆を初めて食べた記念日は35歳。

 

それまでは妻に強要されても拒み続けた:

「え~?大人のクセに納豆食べれんのん?」

「大人とか関係ないじゃん」

 

「じゃあ、ひと口食べてみて!」

「イヤじゃ、それ食べるもんじゃあないし」

 

「はぁ~?誰がそんなこと言うたん」

「納豆は食べるな言うてお祖母ちゃんの遺言なんじゃ」

 

「そんなんウソに決まっとるわ!」

はいウソです、母の食べず嫌いでした(;^^)

 

「健康にええんじゃと」

「健康にええ物は他になんぼでもあるわい」

 

「じゃあ騙されたと思うて、ひと口」

「イヤじゃ、ワシ騙されんもん!」と。

 

だが、あるときせっかく都会の日本食料品店で見つけて買ってきた、というのであまり抵抗せず、ひと口パクリと食べてみた。

 

感想は「旨くも不味くもない」だ。

 

甘納豆ではないから甘くはないが

毛嫌いするほど不味くもない。

 

やっぱりネバネバは好きじゃないねと減らず口を叩いた。

そして納豆は、結局私の好物のひとつになった。

 

納豆を食べたこと自体は「大ゴト」ではない

だが、私がそれまでずっと否定し続けていたものを受容したという経験は画期的なことだと思う。

 

拒絶の理由が単なる親の食べず嫌いでだったとしても、ある種の人生の転機といえる。恋愛で言うと、男性の好みが本質的に変わるとか、物事を見る目や価値観が変わることと似ている。

 

たとえば、

ずっと憎んでいた親を、実はとても愛していたと実感したとき。

 

人生の大失敗だからと触れないようにしてきた出来事が、実は今の自分を豊かにしてくれていたと知るとき。

 

無意識に人種差別をしていたが、その国籍の恋人が出来て、同じ血の通った人間なんだと思うとき・・・。

 

ところで、私は最近また拒んでいるモノがある。

 

再び食い物の話だ。中国での家畜の生産方法を聞き知ると中国産の肉を買う気がしなくなった。もちろん、抗生物質を乱用せず健全な生産管理をしている工場もあるのだろうが、信じられない。

 

食べず嫌いは、何らかの根拠があれば

食べず嫌いでもいいのかなぁ~などとも思う羅王である。

 

 

 

 

羅王(^王^)ノ