第2のイニシエーション(通過儀礼)
ネットで「イニシエーション」という言葉の意味を調べると
“出生、成人、結婚、死などの人間が成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼“とある。
さらに”割礼や抜歯、刺青など
身体的苦痛を伴うものである事が多い“らしい。
ぎゃ~!
痛そうだ!
私はぜひとも遠慮したい。
考えてみると私の自分史の中でも
両親の死がイニシエーションであったと思う。
13歳で父の死があり、22歳で母の死があった。
父の死後、私は嫌がっていた高校受験の勉強を自から始めた。
母の死で私は安定企業の広電を辞めて大学進学を決め上京した。
そして、
39歳ドイツでの会社倒産で一文無しになって瞑想三昧な日々を過ごしたのだが、それが現在の占い師になるためのイニシエーションであったことは疑いない事実だろう。
あれ、ということは?
私の人生のイニシエーションでも、
身体的ではないがやはり苦痛が伴っていたようだ。
ところで、ハイデルベルグで大学に通っていた頃、家族でキャンパスを歩いていたら、すれ違う女子学生を見て娘たちが訊いた。
「あのオバサン達も学生なん?」。
オイオイ・・・彼女らはまだ10代後半か20代半ばだぞ!
まあ、一般的にアジア系人種は白人に比べて幼く見えるので無理もない。だが身長や体格などの見かけだけでなくドイツ人は日本人に比べて精神的にも自立していて大人であることが多いように思う。
ドイツでは伝統的に
10歳で将来の方向性を決めなければならない。
今でも小学校は4年生で卒業する。
その後に進学する学校によって子供たちが将来大学教育を受けるか、専門技術を身につけるか、社会に出て労働によって生活の糧を得るのかと道が分かれてゆく。
肉体的には16歳で大人になると考えられていてアルコールも16歳で解禁となる。
ドイツ社会での子供は、日本の子供たちに比べて
少し早めに大人になるよう期待されているように思う。
では日本はどうかというと、いつまで経っても子供のままでいる成人が多いように思う。それは子供がいつまでも子供のままでいることを望まれているせいかも知れない。
教育とは、子供が社会に順応できるよう子供の社会化を図るのが目的のハズだが、それが成功を収めているとは思えない。入学・卒業、就職、結婚など、人の成長によって訪れる自然な節目としてのイニシエーションはあるが、やはり、もう少しパンチの効いた出来事が訪れないことには、人は年を重ねても大人として目覚めるのは難しいだろう。
親の死は大きな通過儀礼だが今の親世代は長寿だ。
だとしたら現在の日本の成人たちがもっと大人になるには、自然な節目だけではなく第2のイニシエーションが必要だと言えそうだ。
50歳代半ばの私にしても、今よりもさらに新しい自分になるには現在の自分の殻を破るしかないのだから。
そう言えばバンジージャンプは元々スポーツではなく
青年が大人社会に仲間入りする際にその勇気を示す通過儀礼だったと聞いたことがある。
いやいや、
今更私が足にロープを結び付けて
橋の上から飛び降りるのは御免被りたい。
だからといって40歳頃のように、
また一文無しになるのもこりごりだ。
この私と同じように多くの人々も、
イニシエーションを避けて生活することを望んでいるに違いない。
道理でなかなか大人にならないハズだ・・・(;^王^)
羅王