エッセイ「独りよがりな神話を捨てたとき」

独りよがりな神話を捨てたとき

 

私が長いこと胸に抱いてきた「夢」は教師になること。

それも恐れ多くも「大学教授になること」だった。

 

ヨーロッパには20年以上も暮らしたが、

それが私の夢なのではなかった。

 

私の夢はドイツに短く留学したあとで日本の大学に講師として戻り、あわよくば教授になることだった。それが無理なら高校の教員にでもなろうと考えていた。

 

教授になるぞ!と意気込んでいたが、実際はお客さんを案内してドイツ語圏を駆け回るという楽しい仕事に精を出していた。

 

長いことハイデルバルク大学に籍を置き修士課程の半分は済ませたが、結局、卒業に向けての勉強も研究論文にも全く着手することはなかった。教授になるなどとは絵空事で私の独りよがりな思い込みだったのだ。

 

それも、かけがえのない夢で「自分だけに成就することの許された神話」であるかように信じていたのだった。

もっと悪いことには、この根拠のない思い込みをすぐには捨てることができなかったし、それは人生の転換期で常に障害となった。

 

例えば、さあ、次はどこの国どこの都市に住んで働くかというとき、

スイスのガイド募集はあったがドイツでの教員募集はなかった。

でも私はどうしても日本人学校のあるデュッセルドルフに引越したいと言い張った。

会社を立ち上げる時期に、ゼミに出ていない大学の学籍を残したがって、自営業ビザの取得に難色を示し社長不在のまま会社を経営したりした。

まず大学を卒業しよう。

でも勉強する時間がない。

どうにか頑張って教授になるんだ、と言いながら仕事ばかりしていた。

 

私がその夢を諦めたのは大学在籍9年目であった。

きっかけはドイツの大学に有料化の波がきたせいだ。

 

日本と異なりドイツの大学はどこも一切費用が掛からない。

4年で卒業する学生は少なく、10年も場合によっては20年以上も在籍する「永遠の学生」と呼ばれる人種さえ存在した。それが諸大学の経営を圧迫したので、4年間はいいが5年目からは半年ごとに10万円の授業料を取ることになった。

それで永遠の学生予備軍だった私もついに学籍を抹消したのだった。

 

すると、人生の目的が大学でもなく教授でもなくなった。

じゃあ、自分の好きなように自由に生きていいんだ。

 

そこでようやく私はありのままの自分を発見したのだった。

 

勉強する代わりにやっていた仕事は、現地で日本人観光客をガイドしたり企業や工場を視察する訪問団の通訳をすることだった。これらの仕事は大学を去った後もずっと帰国まで続いた。

 

どうも、私には長いこと図書館の椅子に座るよりも、ガイドや通訳としてドイツ語圏各地を飛び回る方が向いている。

また、誰も読まない専門書を解読して論を展開するよりも、観光地の遺跡や歴史上の人物について面白おかしく紹介して、観光客を楽しませることが嬉しくて仕方なかったのだ。その仕事は私の喜びでもあった。

 

つまり、大学の勉強そっちのけでやっていたガイドや通訳こそが私の天職だったのだ。私はヨーロッパに来て翌年からずっと20年間この天職に就いていたことになる。その意味では、なかなかに幸せ者だ♪

 

自由な人生とは、現実の自分とかけ離れた理想を追い求めることではなかった。

教授になるような人は幼少期からすでにそういう環境が出来ている

私は野生児だったし勉強よりも気晴らしの方が好きなのだから仕方ない。

私の天職は人と会うこと、

人を楽しませること、

それで自分も楽しむことだ。

 

占いもそうだが、これが一番私らしい在り方だ。

 

多くのこだわりを持っていたが、50を少し越えて

ようやくそんなことが分かりかけてきた。

 

羅王