エッセイ「帰省」

観光列車マリンブルーの画像

帰省

 

私が尾道市因島に本籍を移しこの島の一員になったのは渡欧して数年たった頃だった。妻と結婚式をあげて半年後にドイツに旅立ったのだが何かと多忙で入籍できずにいた。それでとうとう妻の父親がわざわざ呉市の警固屋支所まで行ってくれることになった。私の育った町だ。

呉の田舎は因島の田舎からは交通の便も悪くあまりに遠い道のりだったのでその際思い切って本籍を因島に移すことにした。妻の父は後々まで酒を飲むたびにそのときのことを「遠くて大変だったぞ」とボヤいていたものだ。

 

先日、久しぶりに母の実家を訪れた。呉線に乗り換える駅で思いがけず観光用の特別列車に乗り込んでしまった。それは白とマリンブルーのお洒落な外装で客車もたった2両というローカルな雰囲気が微笑ましい電車だった。

車窓からこもごも見える呉線沿岸の魚村や島影がなつかしい。ドイツ語圏には20年以上も住んでそこも私の第2の故郷に違いないが、瀬戸内の海岸線はいつも私を癒してくれる風景だ。兄と妹は相変わらず故郷である呉に住み続けていて、私だけ海外にいたり県外に出たりと常に遠隔地にいて滅多に帰省することがない。それでたまに私が母の実家に帰省する機会があると兄と妹もやってきて昔話に花が咲くことになる。

 

そういえば母は何かといえば実家に帰省した。夏休みや春休みなど学校の休み以外にもちょっとした夫婦喧嘩を理由に実家に帰り長く滞在した。自然は実に豊かで川にはメダカやアユ、山にはセミやクワガタ、庭には柿や無花果、ザクロやビワの木々があり犬とニワトリも飼っていたので、幼い3兄妹は遊びに夢中になったものである。この家の前に広がる青々とした稲穂は私の原風景のひとつでよく夢に出て来る景色である。そこには地元の遊び友だちの他に、元気で働き者の祖母、小言は多いが叔父とは仲むつまじい伯母、そして無口でニコニコしている叔父がいる。

 

ところが今回帰省してみると思いがけない変化があった。なんと伯母が祖母に見えた!20年ほど前に他界した祖母そっくりになっていたのだ。もう10年近く会ってないのだから当り前といえば当り前なのだが・・・。

 

伯母は今年で80歳になるそうだが子供もいない。

いつボケてもおかしくないので気がかりではあったが、いつも遠くにいて裕福でもない私にできることは多くない。結局は近くに住む兄や妹が受け持ってくれるのだろう。私はまるであのフーテンの寅さんそっくりではないかと自分で思うことがある。

 

少年の頃、兄妹3人の中では私が一番周りから期待されていた。勉強でもスポーツでも。田舎町では何をしても目立ったし何よりも私には向上心があった。

そのせいかいつの頃からか長男ではなく次男の私が家族のあらゆる問題を担うことになると勝手に思い込んでいた。

だが、実際はぜんぜん違う。私は郷里を一度出てしまったが最後もう二度と戻ることはない、というほどの自由人だったのであり、頼りないと思っていた妹が、勝手だと思っていた兄が両親の墓を立て歳をとってしまった伯母の近くにいてくれている。

 

私にできることは、できるだけ会いに行くことくらいなのだろうか。今でも、あの青い稲穂が青空の下に広がっている景色を思い浮かべることがある。

そこには地元の遊び友だちの他に、元気で働き者の祖母、小言は多いが叔父とは仲むつまじい伯母、無口でニコニコしている叔父,

そして、無邪気に走り回る少年の私がいた。

 

羅王