エッセイ「二つの世界を行き来する者」

果てしない物語の一場面の画像です。
果てしない物語:場面

二つの世界を行き来する者

 

私は高卒後、広島電鉄に就職し市電の運転手などを勤めて6年後に退社した。大学に進学して研究者になりたかったのが主な理由だが実は職業運転手を続けていくことにある種の不安も抱いていた。

 

当時の私には空想癖があり毎日同じルートを同じように電車を運転することに慣れると、つい空想の世界に入り込んでしまう。

 

私は機械ではないので、いつかもっと深い空想世界に入り込んでしまい大きな事故を起こしてしまうぞ・・・という怖れが常に心の片隅に存在していた。

 

ところで先日、久しぶりに妻と娘を連れてミュージカルの舞台を観に行った。松本幸四郎主演の「ラ・マンチャの男」だ。

 

主人公は「ドン・キホーテ」を書いた劇作家ミゲル・セルバンテス。舞台は中世のスペインでセルバンテスは実際にカトリック教会を冒涜した疑いで逮捕され投獄されたのだが、その史実に基づいている。

 

牢獄で盗賊や人殺しなどの囚人たちに所持品を身ぐるみはがされそうになったセルバンテスは、自分の脚本を守るために「ドン・キホーテ」の物語を牢獄内で演じ、囚人たちを即興劇に巻き込んでいく。

 

この劇の特徴はセルバンテスと牢獄の囚人たちの現実、彼らが演じる劇中劇におけるラ・マンチャ地方の田舎郷士アロンソ・キハーナの「現実」、そしてキハーナの「妄想」としてのドン・キホーテという多重構造となっている点だ。

 

囚人たちの演技が盛り上がるとテンポが速くなり、観ている方も劇中の現実と妄想の境界がだんだん曖昧になってくる。

 

つまらない人生を代表する甥との口論では、お前のように「事実だけを生きる」のではなく、人は狂気を生きることにより「真実だけを生きる」ことができるのだとキハーナは言う。

 

また劇終盤、臨終の床に見舞いに来た人が「どうしてあなたはこんな風に生きることが出来たのですか」と問うと、息も絶え絶えの主人公を演じているハズの幸四郎氏はいきなりベッドから勢いよく上体を起こし「それは詩人と芸術家の特権さ!」と溌剌と言い放った。

 

これがこの戯曲のテーマなのだな。

思わずニヤリとした。

 

そういえば、ミヒャエル・エンデの「果てしない物語」でも、現実の世界でイジメを受けていた主人公バスチアンが本の中の世界であるファンタージエン国に呼ばれその崩壊を救う。

 

そうしながら本当の自分を探すという物語なのだが、後半ファンタージエン国の王女がバスチアンに対して、あなたのように二つの世界(現実とファンタジー世界)を行き来する人だけが両方の世界を健全に保つことができるのです、と話す場面が印象的だった。

 

本の中の現実とファンタージエン国の現実。

 

どこかラ・マンチャの男に似ている・・・。

 

まだ20代の若者で毎日電車を運転していた当時の私は確かに二つの世界を行き来していた。そのもう一つの世界を失わないために私は会社をやめなければならなかったのだろうと今では思う。

 

会社をやめたことを一度も後悔したことはないが、借金を抱え生活に困窮していたときは「広電やめてなかったら今頃はきっと役職もついて安定していたのにねぇ」などと妻が冗談めかして愚痴ることもあった。

 

あの時現実の生活を守るためにイマジネーションの世界への扉を閉じなかったことで、私は今タロットで生計を立てているのだろう。

 

占い師は詩人でも芸術家でもないのだが・・・。

 

羅王