青虫クンとブレイク・スルー
台風11号の影響で3日間降り続いた雨がようやく上がりヤレヤレとベランダに出ると、鉢植えのカボスの葉っぱにコロコロした緑色の鮮やかな青虫クンがいた。
「可愛いね~!蛾になるのかな」と妻ははしゃいでいるが私はすぐにアゲハの幼虫だとわかった。少年時代によく彼らを突っついてオレンジ色の臭い触角を出させて遊んでいたのだ。
ふたつあるカボスの鉢をよく見るとアゲハの幼虫は5、6匹いてそのうち2匹はすでにサナギになっている。後は羽化を待つばかりだ。
この緑色の青虫クンがサナギとなりやがて美しい蝶へと転身していく様は実に劇的だ。それまでの自分をすべて捨て去って全く新しい別の自分へと変化していく。
それはここ数年の私のテーマである「ブレイク・スルー」と同じではないか。
「ブレイク・スルー」という言葉は一般的には飛躍的な躍進とか社会的な大きな成功のように理解され使用されているが、本質は文字通り「壊す」「突き抜ける」である。
擬態語で表現するなら「バリバリ」とか「ガンガン」とか古い壁や柵を壊す激しい音を連想する。
青虫は葉っぱの上で陽を浴びたり雨に濡れたりしながら葉っぱを食べて過ごす。サナギになると固い殻の中でドロドロになって変態していく。
やがて形が整うと、その殻を脱ぎ捨て羽根を得て空中へと飛び立っていく。
つまり限定的2次元空間から自由な3次元空間へと次元を突き抜けていくのだ。
青虫が蝶へと劇的に変化していくのは自然現象で、蝶の生活史に必ず起こる転身だが、人に起こる「ブレイク・スルー」はそうはいかない。
多くの人にとってそれまで築いた地位や財産や古い価値観を捨てることは困難だからだ。
また、現在の生活がまずまず快適なら変化をする必要もないだろう。青虫クンのままのんびり過ごしていればいいし、サナギの固い殻に守られて安心な方がいいのだ。
ただ、人は心のどこかで羽化を待ち望んでいる。言い換えると、変わり映えしない日常生活を生きながら、人の魂は常に自由な空への憧れを持ち続けているのではないだろうか。
ところで、青虫が住んでいるこのカボスの鉢植えは私が種から育てたものだ。私は自称「種の収集家」で、自分の食べた果物の種を集める癖がある。
それが樹齢3年、背丈も1mほどになった。
一度我々が帰省時、カンカン照りの中に数日放置したので枯れかかったが、今また復活した。そして、今夏は青虫に蝕まれて再び葉を減らしている。
毎年災難に遭うカボスだが、1・2数年の内には瀬戸内の実家の庭へ植え替える予定だ。それがカボスにとってのブレイク・スルーになるだろう。
それで・・・、
肝心の私のブレイク・スルーは一体いつになるのだろうか?
準備期間は十分に過ごしてきた気がするのだが・・・、
当分は、青虫くんのままバリバリ葉っぱを食べる時が続くのだろうか?
羅王