コラム「完璧さんを手放せ」

こんにちは! 羅王です。

 

いつも思う。

 

人が苦しむときは、たいてい

自分のことをあるがままに受け容れることができず、

逆に、完璧さんを演じようと頑張っているせいだろう。

 

たとえば、営業成績の悪い自分がいるとしよう。

 

ノルマをこなそう!

ノルマが悪いのではない!

この営業成績を伸ばせない自分が悪いのだ!

営業のくせに人見知りで諦めの早い自分の性格が悪いのだ。

 

自分はもっと成績を上げて、みんなに賞賛されるべきだ。

そのためには、嫌なことは我慢して、頑張ろう!

そして、自分を変えて、プライベート時間を削ってでも働こう!

 

いやはや、タイヘンだ。

 

私はこれを「完璧さん症候群」と呼ぶ。

 

ありのままの自分を否定しても

完璧さんを生きることはできない!

 

完璧さんなど存在しないからだ。

 

完璧さんは一種の強迫観念であり、

木で作った四角い枠みたいなモノに過ぎない。

こうでなけらればならない、という型に過ぎない。

 

そして、完璧さんが正しいと信じるなら

完璧さんを生きることができない自分など自分ではない!

と、本当の自分を否定することになる。

 

私は本当の自分を「ダサいさん」と呼ぶ。

ダサいさん以外、だれもいない!

 

たとえば、

正方形のジグゾーパズルがあるとしよう。

 

普通ジグゾーパズルには様々な形のピースがある。

そのひとつひとつのピースが完全な正方形だと

パズルにならない。

 

ひとつひとつのピースは全体とは全く違う形を持ち

どれひとつとして同じ形のピースは存在しない。

みんな違うからこそジグゾーパズルが完成するのだ。

 

あなたはこのピースのひとつだ。

他のピースと似た部分はあるが、とてもユニークで唯一の形を持っている。

 

全体と同じ形をした小さな正方形というピースはない。

それは、社会的な常識という観念が生んだ幻想だ。

 

あなたは誰とも同じではない。

あなたというかけがえのない存在なのだ。

だから、あなたにしかできないことだってある。

 

何かができないとき、頑張ってもできないとき、

そもそも楽しくないし、頑張れないとき、

あなたは完璧さんを目指している。

 

みんな全体と同じ形をしていて、

自分の形もみんなと同じ正方形に違いない!と誤解している。

 

他の人にできることは、自分にもできなければならない。

なんでそれができないんだ~、と自分を責めてしまう。

 

そうじゃあない!

 

正方形のピースなんてない。

 

独特の形をしていて、他の人とは違うタイプだ。

だから、他の人と同じことはできない。

それが自分にはかっこ悪く思える。

ダサいと感じてしまう。

 

ダサいさんが本当の自分だと認知すると楽になる。

完璧さんが自分だと信じると苦しむことになる。

 

別の例で、たとえば、

 

勉強は嫌いだが親が望むので

大学受験を頑張らなければならないと思うとき。

 

もう全く愛していないし、DVだってあるが、

離婚はしてはいけないことだと我慢するとき。

 

家賃も生活費もままならないのに、

誰にも頼ろうとせず収入の少ない自分を叱咤するとき。

 

自分にやさしくなることだ。

 

そして、自分というダサいさんを認めなさい。

 

もちろん周囲の人に対しても優しい気持ちになって、

たとえ、ダサいさんを受容れた自分を否定しても

それはその人の生き方だと尊重してあげよう。

 

勘違いも人生なのだ。

 

自分は完璧さんなんだ~と叫びながら生きても

やはり、人はひとつのピースを生きている。

 

ダサいさんしかいないのだ。

 

学校や社会は完璧さんを背負わせるゲームをしている。

 

ゲームに疲れたら、そろそろ辞めてもいい頃だ♪

 

ラ (^王^)/

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