タマゴの中の住人
ここ数日大阪市内は次の日曜日に行われる住民投票に向けて街宣カーによる演説合戦で大変賑やだ。
近所のバス停でこんな張り紙を見た。
大阪都構想に反対する側のスローガンだ。
「壊すよりもよりよい前進を!」
既存のシステムを一度バラバラにして新しく再構成するというときには当然大きなリスクがあるし強大な反対圧力がかかるものだなあと思う。大きな痛みを伴うものだ。
日本の幕末もしかり、フランス革命や、いや、どの国の歴史を見ても人はそうやって古いものを壊し新しく進化してきたと言える。ああ、私はここで政治や歴史を語るつもりなのではない。
たとえば、タマゴ・・・もし、私がタマゴの中の住人だったとしよう。
タマゴは周りを硬い殻で守られて生命が育まれている。平和な世界だ。
ある日外から誰かがノックすると安定した暮らしに不安が生まれる。ノックの音は次第に大きく強くなっていく。
とうとう固い殻にヒビが入った。外にいるのは敵に違いない。一体この私をどうしようというのだ?ひび割れが大きくなって見たこともない外の世界が見え隠れしている・・・。
ついにこの住み慣れた小さな世界を出て行くときが訪れる。
気が付けば私自身はこれまでとは違う「体」になっている。新しい世界に対応できる自分に変身したのだ。それが「進化」というものだろうと思う。
ところで、実際はというと、タマゴの殻をつついて壊すのはヒヨコ自身なのではないか。
つまり、体や意識が先に変化して対応できなくなった殻を自ら壊そうとする。思えば、徳川幕府やフランスの封建制度も、人々の意識が変化しそれまでの制度には適応できなくなり内側の力によって崩壊していくのだ。
私もこれまでの人生で実に数え切れないほど引越しをしてきた。まずは生まれ故郷の広島から東京⇒ドイツ⇒スイス⇒オーストリア⇒ドイツ国内を転々そして再び日本へ。この5月末には帰国後3度目の引越しをします。どの引越しも私自身が変化し次へのステップに移行するための引越しであったと思う。
今までの住居で、器で、その環境で何となく居心地が悪くなったとき、我慢すれば何とかなるし、まあ、不満というほどではないけれど、という感覚が生じたら、それは自分の内部で「変化」が起こっているということだろう。
そういうときは、自分自身の内部の声にしっかりと耳を傾けてみよう。「古い器」を壊そうとしているのかまたは、「新天地」を求めて移動しようとしているのかもし、そうなら勇気を持ってその声に従って欲しい。
ヒヨコが殻を破ることが出来ないら、殻の中で腐るしかないのだから。
タマゴの中の住人:羅王