コラム「冒険者の証」

こんにちは! 羅王です!

さて、今日は冒険者について書く。

人は共感によって自分の世界を構築してゆく。
それがいわゆる、好きなこと。好きな人。好きな場所。となる。

だが、常に自分を新しくしてゆきたいと願う者は逆の道を選ぶ。
冒険とは未知のものを求め、それに出会うことだ。
その新しさとは、実は今の自分に共感しないものに出会う、ということだろう。

たとえば、絶対自分では行かない場所を訪れたり、
普段決して会うことのない人に会って話をしたり、
自分には不向きなスポーツを付き合ってみたり・・・だ。

大抵は不快感を感じる。

これは波動の法則と言われているもので、自分が気持ちいいと感じるときは
自分と同じ波動を感じているときだ。共鳴とか共感とか感動と呼んでいる。
逆に、自分とは異なるものに会うと不協和音が鳴り響き、不快になるのだ。

そのとき、ああ、この人は嫌いだ!
こんな場所には二度と来ないぞ!
こんなことは自分に似合わないな。
何があってもやらないぞ! などと思うだろう。

それはそれでいい。
ただ、自分という世界にその不協和音が存在することを否定しないことだ。
自分とは違うけれど、だから不快だけど、それは私の世界に在る。

私自身に対してと同様に、世界に対しても祝福しよう♪

共感だけを求める人は、ヒツジのように柵の中だけで安全に心地よく生きる者だ。
心地いい体験は、あなたが自分の世界を豊かにした証だ。

それも楽しい生き方だろう。 

逆に

常にその柵を越えて行く者は、常に目新しい存在に出会うだろう。

不快さに我慢する必要はない!
お前なんか嫌いだ~!と言ってもぜんぜん構わない。

もちろん、ずっと不快でいる必要はないし、
それがドキドキやワクワクに変わるなら願ってもないことだ。

ただ、それらの存在価値を否定しないことだ。

せっかく柵を越えたのに、その存在を否定したのでは、元の柵の中に逆戻りだ!
不快な存在も自分の世界の一員だと知っているだけでいい。

それは「その存在を受容した」ということだ。
それは「その存在を祝福した」ということだ。

あなたはそれによって、ひとつの世界を広げたのだ♪

忘れないでいよう!
あなたが不快な出来事に遭ったときに思い出すのだ。
不快な体験はあなたが冒険者である証だ!

あなたが築いてきた自分という名の世界を越えたときのサインだ。
私羅王もよくやるように♪

羅王 (^王^)