自分探しという冒険
先日NHKの朝ドラ「マッサン」が終わった。
主人公のエリーが最期に残した言葉が印象的だった。
それがLife is an adventure(人生とは冒険)だ。
主人公マッサン(竹鶴政孝)は後にニッカウヰスキーの創業者となった人物で、造り酒屋の跡取り息子として生まれたがウィスキー造りを学ぶためスコットランドに留学し、そこでスコットランド人の女性エリー(リタ)と出会い国際結婚する。
エリーを伴って帰国し様々な苦労を夫婦で乗り越えて行くがマッサンは妻の最期を看取る際に苦労ばかりかけたと悔やむ。そこでエリーが口にするのが「Life is an advebture」という言葉だった。
日本という異国で暮したエリーの人生は決して平坦ではなかったが。たとえどんな困難に出くわそうとも問題に振り回されようとも私はしあわせだったと伝えたかったんだろうと思う。
「人生とは冒険だ」と定義すると、あらゆる障害や困難な問題はすべて冒険の途上で体験する当たり前の試練であり克服すべき課題として受け容れることが出来る。これはとても肯定的で強力な自己認識だと言える。その根っこを支えていたのが、伴侶マッサンへの愛情であったのだろう。
ところで占い客には時々「私は何のために生まれてきたのか」とか「私の使命は何か」とか「私はいったい誰なんですか」という質問をしてくる人がいる。
つまり、アイデンティティの根底が揺らいでいるということであり、私はそういう人を「自分探しの人」と名づけている。
人は国籍や出生、家庭環境や性別、職業や収入、さらに経歴や所属団体など様々な関係性から自己を規定しているものだ。
しかし、自分探しをする人は家族の死や自身の罹患、職場や家庭の変化によってこれまでそれが自分だと思えた内的な自己認識(アイデンティティ)が崩壊してしまい、自分が一体何者なのかが分からなくなってしまったのだ。
その状態を私は「自分探しの旅」と呼んでいるが、
ここでエリーのコトバを借りるなら・・・
「あなたの人生も冒険なのです」と言われそうだ・・・(;^王^)!
冒険だからといって刺青を入れて暴力団になるなど「否定的アイデンティティ」と呼ばれる反社会的な自己を拠り所にすることはお勧めしない。
この認識の根底には否定があり、自己否定を抱えたまま開き直ったのでは人生のダークサイドを味わうことにしかならないからだ。
それよりも愛する人がいたり、
守るべき家族があったり、
帰るべき故郷が待っていると、
自分の居場所を得て健全な自己認識を持てるだろう。
自分が不運に見えたとき、
出来事の可否に依存しない肯定的な自己認識が必要なのだ。
会社や収入や上司が本質的な問題なのではない。
もちろんそれらを無視しろ、などと薦めてはいない。
ただ自分を、それも幸せな自分を土台とする以外にない。
どうやって?
自分探しも人生の冒険だ。
あなたもエリーと同じように冒険者だからだ。
冒険者の羅王