「あなたは前向き?後ろ向き?」
こんにちは、羅王です。
さて、今日は前向きって何だ?だ。
よく人は前向きに考えるとか、前向きに善処するとか言う。では具体的に前向きってどういうことか?
いつものように結論から言おう。「前を向いている」ということだ。
もうちょっと詳しく説明しよう。
たとえば、あなたが何かの出来事や取引に不満があったとする。そして、その不満を相手にぶつけることが出来ないとき、あなたはイライラしたり、次の行動に移るべきときにグズグズしてしまう。なぜだか自分でもよくわからない。ただ何だかイライラするのだ。そんなとき、あなたはまだ自分のイライラの原因がその不満にあると分かっていない。
あなたは自分がやれることをやったけれどもその結果は不出来あるいは期待外れだった。だから、すぐにでもそれを補う次の行動に移るときだ。また実際もう次の行動に移っているのに、まだブツブツとその不出来だ った出来事や相手に対する不満を言い続けたり、なぜ相手は自分の期待とは別の方向に動いたのだろう、と考えているなら、あなたは「後ろ向き」だ!
いや、反省や考察がいけないと言っているのではない。
前に向いていないと言っているのだ。
前向きになっているとき、人は決して出来事の被害者ではないからだ。その行動が前向きなとき、ただ決心と行動と喜びがある。過去の不満をブーブー言っているなら、後ろを向いて生きているということだ。
人生を後ろ向きに歩いている人は、前方にあるサインを見つけることはできない。後ろ向きだから、分かれ道にも気付かない。ただそこを通り過ぎたときに初めて分かるのみである。
さて、あなたは今前向き? それとも後ろ向きだろうか?私はただ古いもの、終わったことを切り捨てて前を向いて生きればいいと言っているのではない。たとえば、その出来事が恋愛であるなら、それも忘れることができない相手であるなら、ちゃんと気持ちを表現すること。相手に伝えること。しっかりと見通しがつくまで、あるいは諦めが着くまで頑張ってみること。そうでないと次には進めないだろう。
突然話は変わるが、世界とは自分のことだ。
自分の在り方が、自分が受け取る世界そのものに反映する。目に映るものすべては映像世界であり、それはスクリーンに映っている映画と同じだ、と私はよく言う。
ではその人生映画のフィルムはどこにあるのか?
それがあなたの自由意志なのだ。
映像にしがみついてはいけない。
フィルムを変えればいいだけだ。
映画を変えたいときに
誰もスクリーンにしがみついたりしないのと同じだ。
自由意志とは、表面的な意思だけを指しているのではない。
もっとずっと大きいもので、普段人が使っている「意思」というコトバの意味領域はは氷山の一角にすぎない。では自由意志の中で、表面には見えず隠れている大部分は何かというと、それは感情だ。それも、深い大きな感情の流れがそれだ。その流れにアクセスすると喜びが生まれる。その喜びと自分の決心と行動があるとき、フ ィルムはすでに更新されている。
そうだ。
これが「前向き」だ♪
自分の感情の深い潮流にアクセスして、喜びで世界を選ぶときが前向きなのだ。
過去の出来事をアーダコーダと言っているときは、後ろ向きだ。
羅王は後ろ向きが悪いと言っているのではない。人は前向きでも後ろ向きでも生きて行けるものだ。ただ、自分では前を向いているつもりで後ろ向きなら、そろそろ前向きのあり方を知っていてもいいのではないか。
そうだ!
あなたが前を向いて生きるとき、あなたは目に映る未来の世界をドンドン意識的に創造しながら喜んでいる。
そうだ!
喜びが前向きのサインだ。
不安は後ろを向きたがっているサインだ。
未来に責任を持ちたくないし、喜べないに違いないと思っている態度だ。
意識的に前を向く。
意識的に世界を選ぶ。
それが前か後ろかは喜びで分かる。
「自分の思い」つまり、深い感情からのメッセージがつねに答えなのだ。
羅王