高い視点
占いを締めくくるときに使うカードで「高い視点を持ちなさい」というメッセージがよく出てくる。そのまま伝えても「高い視点って何ですか」と逆に訊ねられてしまう。
不登校でずっと閉じこもっている中学生の子供が高校進学について真剣に考え始めるまで、或はせっかくのいい就職口を半年で辞めてフリーター生活をする子供が自分の適性に目覚めて、もう一度やり直そうと考えるまで「長い目で見て下さい」ということですよ、と言い換えることにしている。
だが、それで説明が十分だとは思っていない。高い視点とはただ物事を長期的に捉えるということだけではないからだ。では、もっといい説明はないだろうか?
先日、近所のツタヤで借りてロビン・ウィリアムズ助演の「グッド・ウィル・ハンティング」という題名の映画を観た。
主人公のウィル・ハンティングは鑑別所入りを繰り返す素行の悪い若者で、工科大学構内の清掃をアルバイトにしていたが、あるとき名門校の学生でも解けないという数学の懸賞問題をこっそり解いてしまう。
数学の才能を認めた教授はウィルを何とか更正させようと心理学者のショーン(ロビン・ウィリアムズ)教授にセラピーを担当してもらうことになる。なかなか心を開かないウィルにショーンは妻のオナラの話をする。
妻は寝ているときにオナラをする癖があった。自分では気付いていなかったが、あるときとても大きなオナラをして、その大きな音と臭さで目覚めてしまった。私は説明したが、妻はそんなことはないと言い張り、結局オナラをしたのは私だということになった。
ウィルは大笑いして「そいつはひでぇ話だ」と感想を述べたが、ショーンは・・・いや、そうではない。2年前妻がガンで他界してから妻と生きてきた人生の何もかもがいとおしいものだと感じている。この話も今となってはかけがえもなく美しい妻との思い出なのだと語る。そこで青年ウィルが黙り込む。
ここが物語の転換点だ。
ここで若者は人生を高い視点で観ることに目覚めたのだと思う。
どんな出来事も高い視点、愛情を持った大きな心の視点で見るとき、そこには美しい話しかないのだと理解したに違いない。
話は変わるが、ドイツでは2006から環境法のひとつで、飲物のペットボトルを店に返却する25セント返してもらえることになった。路上への投げ捨てを制限するための法律であり、何より一回限りの使い捨て容器の氾濫を許さない、モノは大事に使い再利用すべきだという意識の現われだろう。
そこで我々もペットボトルは面倒でもゴミ箱に入れず店に返すようにしていたが、あるとき長女がポイッとゴミ箱に捨てた。
見咎めた妻は「ちゃんとお店に返しなさい」と言うと「だってこれは浮浪者のオジサンが集めるし、それでパンを買えたらいいじゃない」という。
ん?・・・まあ、それならいいかぁ、となった。
長女には我々に見えなかった視点があったのだ。
私の住む地区でもビン・カンのゴミの日は朝から自転車に乗り切らない程のアルミ缶を集めて回る人が目立つ。
再利用できる資源ゴミは自治体の所有だなどと言うけれど、私は頑張って集める人の味方だ。彼らが集めやすいように、ゴミ収集車よりも早めにビン・カンを出すことにしている。
長女の視点と似ている。
これも日常生活のちょっとした高い視点と言える。
ところで「高い視点」という言葉を使ったが、
言い換えると「部分ではなく全体を見ること」と言えるだろう。
羅王