羅王も経営者だった?
私は経営に向かない。
実は2度も会社経営に失敗している。
誰が聞いても誇らしい実績とは言い難い。
二度目の失敗後に訪れた無一文時代が、
現在の占い師人生への準備であり
導きであったことは疑いようがない。
人生に起こる出来事は不思議だ。
いつも両面の意味を持っている。
金儲けは下手なのだがお金を嫌っているワケではない。
確かに儲けることよりも使うことの方に喜びを感じる。
だからといって十分なほど稼いだり
親の財産を享受した経験もないので、
豪遊して一晩で散財したという武勇伝もない。
経営する上で障害だったと思うことは、
1:経営とは何かを全く学ばないまま、
また親が自営だったわけでもなく、
授業で教えられたこともなかったこと。
2:店を開業したいからという理由で
半ばナシ崩し的に嫌々経営する羽目になったこと。
3:結果的に、社長という自覚が薄く、
マーケティングに於ける対処がすべて後手に回ったこと。
ん~まだまだあるが書き出すと
相当ダメダメな経営者だな~・・・(;^王^)
では、それらすべてを学んでいたら
私はその事業で成功していたのだろうか。
いや、やはりそうではない。
倒産なり解散なりの時期が少し先延ばしになっただけだろう。
結局私は日本へ帰国し、現在の占いを生業としているに違いない。それは結果論だろうとか羅王は運命論者なのかと言われそうだが・・・。
ところで私は、会社を維持しなんとか経営することのできる能力と、その事業をさらに発展させてゆくことのできる天分とは別物だと感じている。
その天分こそが企業家精神と呼ばれているものではないかと思うのだ。
新しく事業をプランニングしそれを実現してゆくことが楽しくてワクワクして、それに伴うどんな困難にもぶつかってゆくエネルギーがあり、何十時間考え続けても飽きないどころか疲れることもない。結果的に必要な人や金や集まって来て条件が整い、事業を展開させてゆく人物のことだ。
どうやら私の天分は会社を経営・維持していくことでもなければ、企業家精神を発揮することでもなさそうだ。経営者になれそうもないと自覚しても今の私は昔ほどココロの痛みを感じることはない。
そもそも日本における義務教育も高校や大学での教育も、そのほとんどが優れた従業員を育てるためのシステムであり、経営者や企業家を育てるものではないことは誰もが認めることだろう。
ところが私は、従業員として会社に勤めるのも向かないときている。上司には口答えするし、マンネリな仕事は我慢できないし、無理に頑張ると何故か凡ミスを犯してしまう。
どうも一般社会では使い道のないタイプらしい。それで占いやドイツ語の翻訳などで細々と自営する以外に道はないのだ。
マイナスなままでも会社経営を継続するのか、それとも終わりにするのか。新たな資本を受け入れてでも存続させるのか。
そういう局面で生じる出来事は人生を再生させる転機であり、自分がこの後にどんな人生ステージを生きるかという選択の時が訪れているのだろう。
私は経営に向かないとハッキリと自覚し新しい道を探し始めたのが、ようやく一文無し人生から抜け出した羅王42歳の春であった。
羅王