平凡な生活は半月のようなもの?
~ 平凡とは幸せの代名詞 ~
5年前に帰国して以来ずっと占いで生計をたてている。
広島で生まれ育ち東京で大学卒業後ドイツに20年以上暮らしてきた私にとって大阪は知り合いもいない初めての土地で、当然のごとく生活は苦しかった。
最初の頃ハローワークに通ったこともあったが妻は「お金のためにしたくもない仕事をするくらいなら貧乏の方がマシだ」と言った。イヤ、正確には「お金に魂を売り渡すより貧乏の方がマシ」と言ったのだ。
というワケで魂を売り渡さなかった私は5年間の貧乏生活を経て今も占い師としてニコニコと暮らしているのである。とはいえ、5年前と比べると生活はかなりラクになった。
線路脇の手狭なアパートに住んでいるが新大阪には小さいオフィスもある。稼ぎの少ない月は支払いに汲々とすることもあるが妻は毎日近所のスーパーでささやかな買い物をし夜はワインやビールに合う料理で夕食を楽しむし、歩いて1分の露天風呂のある銭湯に週に何度かは通う。年に一度くらいはちょっとした旅行も楽しんだりするのだ。
遠い異国での孤独な戦いのような日々とは違って娘達や兄弟・親族もすぐ連絡できる場所にいるし周りの人々も皆親切だし言葉も通じる。そういえば帰国当初、電車の中で話すと廻りの乗客に全部理解されることが不思議で仕方なかったことを思い出す。
ドイツで生活していた頃に比べると何ともはや平凡な毎日である。
瞑想しながらそんなことを思い「平凡な生活だなぁ。案外幸せってことかな」と目を開けたら、窓外の東空にオレンジ色の半月が見えた。
ん、これが答え(?Ω?)平凡な生活とは半月のようなものだというのか。
月はタロットのモチーフにもある。満ち欠けするので出来事の周期的な変動や不安定さ。葛藤を示す。また新月は願うとき、満月はその願いが成就した状態を表わすらしい。
じゃあ半月は、半分だけ叶っている・・・中途半端だなぁ(;^王^)
大人のつもりで、実は成りきれていない10代後半の青年みたいだ。月の満ち欠けは見かけ上のことで実はいつも丸い。だから「平凡な人生」は見かけ上まだ半分しか満足できないと信じているけれど、実は「完全に幸せな状態」なのだろう。
多くの人は「半月ではまだ足りない」「満足できない」「もっと豊かで幸せになる筈だ」と満月を追い求める。
中途半端は良くない!というのもそんな標語だ。
では問い掛けてみればいい。
未熟な鳥のヒナは間違えた存在なのだろうか?
人として未熟な子供は、あってはならない状態なのだろうか、と。
答えは明白だ。
それは、そのままでいい。
そのままで完璧なのだ。
言い換えると、自分探しの途上でまだフリーターであっても。バツイチで懸命に働いていても。リタイアして人生の再出発に戸惑っていても。人生のどの段階でも、全く完成とは程遠い状態に思えても、外見上のことで自分を否定してはいけない。
貧乏に負けて拝金主義に陥ってはいけない。
新月でも半月でも実は完璧に幸せなんだ、
ということを忘れずにいたいものである。
ん~でも今の生活はまだ半月なんだよなぁ、と
見かけにこだわってしまう羅王であった・・・(;^王^)
羅王