他人の承認
かつてまだドイツに住んで間もない頃、ドイツの某有名デパートで、
ドイツの冬に似合うラフで暖かいコートを探していた。
このコートの色とサイズでもっと違うものはないですか?という質問に
「いえ、そこにあるだけです」。
その店員の対応のそっけなさで突き放された私は急に不機嫌になった。
また、ブティックの閉店5分前に店に入ると
「もう閉店です」「今から閉めます」と断られた。
どうもドイツ人はサービス精神というものを知らない!
私は客として遇されない状況に腹を立てた。
日本なら、店員は必ずニコニコと対応してくれて客の話しを十分に聞き、その要望にできるだけ添おうとしてくれる。ところが、これはデパートやブティックだけではなくドイツの市役所でも郵便局でも同じだった。
トンデモない店だった!
市役所は不親切なヤツばかりだった!
家に帰ってこの憤懣をぶちまけると妻は私に訊いた。
それじゃあ商店やデパートの店員や役所の公務員は
みんな悪い奴なの?
店員や公務員は外国人に悪意があってそんな対応なの?
・・・いや。
そういう訳ではない。
他のドイツ人に対しても全く同じそっけない対応だった。
それも、そういう対応を受けたドイツ人は普通に受け止め
「そう残念ね。ありがとう。じゃあまたね♪」と気分を害することなく挨拶していた。
どうやら私は相手に対して過剰な期待があったようだ。そして、その期待が裏切られると被害者になりブツブツ文句を言い、相手を悪者にするクセがあった。
相手から特別にニコニコされないと自分が正統に認められていないと感じていたのだ。当時、私の感じた不快は「お客さまは神様です」という社会通念が当り前な日本人なら必ず感じるものだと思う。
私はこれを
「他人の承認を必要とする自己」とか
「他者への依存」と名付けている。
今の私は仏頂面で接客されても被害者にはならないし、その人を悪者にもしない。ドイツ人気質ではないが、永らくドイツに住んだことで、相手の態度に振り回されず普通に対応するようになった。
特別なことではない。
ようやくちょっと大人になって出来事をニュートラルに受け取ることができるだけだ。
他人の承認がなければ気分を害するなら、
自分の意思や感情よりも
他者の気持ちや状況を優先していることになる。
これは本末転倒。
これが人間関係で苦しむ元凶だ。
お金や地位は状況に過ぎない。
自分の意思や目的がまず最初にあるべきでだろう。
その上で他人の承認があれば尚よい。
他人の承認は目的そのものではない。
自分の行為の反映であり、
行動の結果として後から付いて来るものなのだ。
陽気なイタリア人や商人のトルコ人など、地中海系の人種には一見サービス精神なるものがありそうに見えるが、同時にニセモノを高く売り付けるズル賢い面も併せ持っているから要注意だ。
そんなことをドイツ人もフランス人もしないが、逆に表示価格から値引くこともない。そして、客にはそっけない。
店員が客にニコニコ対応しなければいけない義務は、
実はないのだろう。
日本での接客も次第に欧米化してゆくだろうと私は思っている。
ある日、店員にそっけない対応をされても被害者になる必要がない、
と今のうちから知っておきたいものである。
羅王