エッセイ「予約嫌い症候群」

エッセイ「予約嫌い症候群」

 

もう20年以上前のことだ。

 

久しぶりに旧友を訪ねようと駅に降り立って

その友人宅に電話を掛けたが誰も出ないので困った。

 

友人には前もって

「じゃ、その頃に行くから」とは一応告げてあったのだが、

それ以後は連絡をしないまま帰郷して

そのまま友人宅へ向かったのであった。

 

お互い忙しい年代だし

一週間前にならないと身体が空くかどうかは分からない。

普通は数日前に

「日程が決まったよ」とか

「その週末の何時頃に着きそうだ」

「そっちは大丈夫か?」などと再度確認するものだろう。

 

ところが私はそういうことをしない性分だった。

 

そんな私に対して妻から

「えー?予約なしで確認もなしじゃあ相手に迷惑よ!」

「それに自分も困るじゃない?」と言われた。

 

 

そりゃそ~だ。

私の「予約なし行動」は

まるで江戸時代の長屋や農村の共同体のようだ。

 

そこでは住人の誰がどんな暮らしをしていて

今何をしているかを皆が知っている。

 

共同体の子供のように、どこに居ても自分の家のように振舞い、

社会的な枠がなくプライベートを共有してしまうのだ。

 

大人になっても予定や計画を避けてしまう傾向が抜けない理由は、

将来の何かを決めてしまうことで自分がとても不自由になる気がしたせいだろう。

 

だが、我々が長年住んだドイツは完全な予約社会だった。

 

個人宅を訪問するにも突然のアポなしでは断られる。

医者も祭りも宿も交通機関もあらゆるものは予約すべしと教えられた。

 

ドイツで観光業に携わった私はお客さんのために宿や車を手配したり会社訪問のアポを取ったりと「予約を入れる」仕事をこなし、またガイドや通訳の仕事を受けて働いたので「予約を受ける側」でもあったのだ。

 

とはいえチェコや南仏を家族旅行するときは相変わらず前もって予約したりせず、町に到着してから泊まるホテルを探したりして行き当たりバッタリの旅を楽しんだ。

 

旅行業のプロだったので

現地のサービスを受けなくても世界中どこでも自分で出来る!と自負していたのだ。

 

ところがあるとき初めて「パック旅行」なるものを体験した。

 

ドイツからトルコへの季節外れのツアーがとても安かったせいだ。

航空券からバスの送迎やエーゲ海向き5☆ホテルの一週間滞在、毎日のバイキング料理や観光も何もかも準備されていて、その快適さに妻と感動したものだ。

 

それ以来妻は「これからはサービスを受ける側がいい」とよく言うようになった。ホント、予約してサービスを受けるって気分いいなぁ~♪

 

長く個人主義のヨーロッパ社会で鍛えられたせいで

私の予約に対する偏見はなくなったようだ。

 

そもそも予約なしの突然訪問などというものは

一種の「無意識な甘え」なのかもしれない。。。

 

それは私がアポなしで訪問しようとするのが家族・親族、親友など

プライベートに限られることから推測できる。

 

公私の「公」の部分では予約が得意で、

「私」の部分では相変わらず予約をしたがらない。

 

ひょっとして私は、訪問しようとしている先が

今も変わらず「私の場所」つまり「私の故郷」であることを確認したいのかもしれない。

 

子供が親元に帰るのに予約しないのと同じように。

 

 

羅王